「成功したサイコパス」の解剖学

 

「成功したサイコパス

 

随分と俗っぽい呼び名だが、本来は「過去に犯罪経験のあるものの、逮捕歴のないサイコパスを指す言葉だ。

 

逮捕されてしまった「成功していないサイコパス」との違いは何か、その興味がこの名前を生んだ。

 

ところが、僕らが一般的にイメージする「成功」というのは「社会的に高い地位と莫大な資産を持っている人」なのではないかと思う。

 

そのため多くの人は、サイコパスの能力が社会で成功するために必要な資質であるかのように受け取ってしまう。

それは確かに拡大解釈なのだが、部分的にはあながち間違いではない。

 

 

今回は エイドリアン・レイン著 「暴力の解剖学」を参考に、科学者のいう「成功したサイコパス」を徹底的に解剖し、彼らについて適切な理解を得ることを目的に解説していく。

 

 

戦士の遺伝子

 

サイコパス・インサイド」の著者、ジェームズ・ファロンは、「三脚理論」として、 ①MAOA変異体などのハイリスク遺伝子 ②眼窩前頭前皮質 扁桃体などの器質的機能不全 ③幼少期における虐待などの高ストレス環境 がサイコパスを生み出す要因であると主張していた。

 

MAOA変異体こそがサイコパスの主要な原因であると見なす人も多い。

それは本当に正しいのだろうか?

 

 

MAOAとは「モノアミン酸化酵素A」のことで、脳内のモノアミン系神経伝達物質を分解する酵素だ。

 

このMAOAの活性が低い変異体を有する人はモノアミンレベルが常に高く、攻撃性や衝動性を示すことがある。

それゆえ、この変異型遺伝子は「戦士の遺伝子」と呼ばれる。

そして人口の30%が「戦士の遺伝子」をもつ。

 

 

アヴロジャム・カスピらは、「低レベルのMAOAは、とりわけ子供が酷い虐待を受けた場合、のちに反社会的行動や暴力を導く」ということを発見した。

 

これを受けて、ジェームズ・ファロンも③幼少期の虐待などの高ストレス環境 がサイコパスに結び付く要因であると考えたのだろう。

 

しかしながら、さらなる研究によって、被験者に虐待経験があるかどうかを問わず、戦士の遺伝子と反社会的な性格とのあいだの、直接的な結びつきが示されてきた。

 

もちろん変異による活性レベルは人それぞれ異なるものの、仮にも30%の人がもつ戦士の遺伝子をサイコパスの直接的な原因と見なすことはできない。

そして「虐待」を受けた場合にサイコパスになる、ということも一概にはいえないのだ。(環境要因の存在を否定しているわけではないが)

 

 

さらに、戦士の遺伝子によってもたらされる攻撃性は、少なくとも「成功したサイコパス」像とは少し異なる。

 

ロサンゼルスの研究では、戦士の遺伝子をもつ学生はより攻撃的な性格のみならず、人間関係に過敏に反応することが分かった。

 

つまり彼らは感情的に傷つきやすい。

また、社会的に排除されることに対して、脳がより強く反応した。

 

これは、個人的な中傷によって、彼らがいとも簡単に動揺することを意味する。

 

戦士の遺伝子を持つ人は「自分への批判」に敏感で、それによって「衝動的」な攻撃性が高まる。

 

これまでに何度も反応的攻撃性と道具的攻撃性の違いの重要性を指摘してきたが、「戦士の遺伝子はとりわけ反応的攻撃性に関与する」と言えるだろう。

 

では、より「成功したサイコパス」に近い遺伝子変異はあるのだろうか。

 

 

高レベルのドーパミンセロトニン

MAOAが分解する「モノアミン系神経伝達物質」には、セロトニンドーパミンが含まれる。

戦士の遺伝子はその活性が低いために、これらのモノアミンレベルを上昇させる。

 

同様に、「5HTT遺伝子」「DRD2遺伝子」「DAT1遺伝子」「DRD4遺伝子」はすべて、反社会的かつ攻撃的な行動と結びつけて考えられている。

 

ドーパミンは「衝動」や「モチベーション」を生み出し、報酬を求める行動に重要な役割を果たす。

 

動物のドーパミンレベルを実験的に上げると、攻撃性が増大し、下げると減退する。

いわば、自分の欲しいものに向かって僕らを動かす、「アクセル」のようなものだ。

 

 

一方、セロトニンはこれとはかなり異なる。

 

前回の記事でも書いたように、セロトニンは”心の平穏”をもたらしてくれる。

 

うつ病の患者はセロトニンレベルが低いため、SSRIという抗うつ薬セロトニントランスポーターの働きを阻害することによってセロトニンレベルを上昇させ、不安や抑うつを解消することができると考えられている。

 

先ほどあげた「5HTT遺伝子」は、文字通りセロトニントランスポーター(5HTT)というタンパク質をコードする遺伝子で、これにはL型とS型の2つのバージョンがある。

 

僕らのおよそ16%はS型を持ち、低いセロトニンレベルをもたらす。

そして情動による刺激に対して脳を過剰に反応させ、怒りを爆発させやすくなる。

これは、先ほどの戦士の遺伝子をもつ人に見られるような現象だ。

 

このS型5HTT遺伝子がもたらすような「安静時における低いセロトニンレベル」は、攻撃性の変動の10%を説明してくれる。

 

そして、とりわけ衝動的な暴力をふるう成人に関しては再現性が非常に高い。

 

ある実験では、被験者のトリプトファン(セロトニンの前駆体)を枯渇させると、ゲーム不公平な申し出を受けると報復しやすくなることが示された。

 

つまり、セロトニンが枯渇した状態では、何かイライラすることが起こるとすぐに気が動転するのである。

 

 

これとは対照的に、L型の5HTTは「ストレスに対する反応性が低い人々によくみられる冷酷で計画的なサイコパス的行動に、より密接に関与する」と言われている。

 

つまり、高いドーパミンレベルと低いセロトニンレベルを有する人が「衝動的に人を攻撃する」のに対して

高いドーパミンレベルとセロトニンレベルを有する人は「攻撃を自制できるか、道具的攻撃に切り替えることができる」といえるかもしれない。

 

 

「手っ取り早く市販薬でサイコパスになる方法 」

トリプトファンチロシンを挙げたのは、このような背景からだった。

 

しかしながら、モノアミンの悪戯が「成功したサイコパス」を生み出すとは言えない。

 

個人的な経験からも、セロトニンによる平穏さと自制心がある状態で「人を殺して金を奪ってやろう」とは微塵も思わない。

 

ジェームズ・ファロンがいうように、②器質的な機能不全 が不可欠なのかもしれない。

 

神経化学的、薬理学的なサイコパス研究は次回で詳細に解説しよう。

 

 

次に、ファロンの言うところの ②器質的な機能不全 についてみていこう。

少し寄り道をして、「成功したサイコパス」ではなく反応的攻撃性と道具的攻撃性の違いから紹介する。

 

 

「あとでぶっ殺してやる」

衝動的な「成功していないサイコパス」は、怒りに焚きつけられてその場で感情的に人を殺してしまう。

 

 

こうした強い攻撃性は、扁桃体によって反応的、道具的を問わずもたらされる。

また「海馬」は攻撃性を”調節”し、刺激されると「道具的攻撃性」を解き放つ。

 

視床は情動機能を司るこれらの辺縁系領域と、調節機能をもつ皮質領域の中継所として機能する。

「中脳」は、焚きつけられると激しい反応的攻撃性を触発する。

 

これらの領域の活動を基準として、「反応的攻撃」の殺人犯と「道具的攻撃」の殺人犯を比較した研究がある。

 

驚くべきことに、いずれの殺人犯にも「より情動的な」右半球の皮質下に位置する大脳辺縁系領域に、高い活動を見出した。

 

 

多くの冷血な殺人者が装っている「どこにでもいる青年」という仮面の背後では、脳の深部にある皮質下領域の窯が煮えたぎっているのである。

 

いったい何が起きているのか?

これらの領域は、深く根付いた攻撃性や憤怒の一因だと考えられる。

 

しかし両タイプの違いとして、冷血な殺人者は、比較的注意深く用意周到なやり方で自らの攻撃性を発露させることができるだけの調節能力を前頭前野に」備えている可能性がある。

 

これは、今までに紹介してきた「扁桃体機能不全仮説」とは異なる見方だ。

 

 

嘘をつく脳

「~の為に殺す」といった道具的攻撃ではなく、「~の為に騙す」といった比較的ライトな道具的攻撃性を考えてみよう。

 

これは逮捕されるほどの行為ではないため、「成功したサイコパス」は常習的に行っている可能性が高い。

 

 

嘘をつくという行為は、非常に高度な認知的負荷を伴う。

それには「頭頂皮質」および前頭前皮質の活動が関与する。

単に真実を語るときには、これらの領域は一切活動の上昇がみられない。

 

嘘をつく能力は「複雑な実行機能」と「心の理論」を必要とする。

その嘘が相手にとってもっともらしく聞こえるように相手の立場で考え、怪しまれないよう行動を抑制したりするからだ。

 

 

また、道徳的な関心が強い人はそうした行動を取ろうとは思わない。

 

アンドレア・グレンは、サイコパス「内側前頭前皮質」「後帯状皮質」「角回」が、道徳的な意思決定を行っているあいだ正常に機能していないことを、また、そうした脳の特質が「うわべだけの人当たりの良さ」「欺瞞」「自己中心主義」「他人の操作」など、人間関係に関するサイコパスの特徴と結びつくことを発見した。

 

ひとえに「前頭前皮質」といっても、機能によって「内側」「外側」「眼窩」などの下位区分が存在する。

 

道徳的な関心が弱く常習的に嘘をつくようなサイコパスは、少なくとも「内側前頭前皮質については機能不全をもつといえる。

 

ちなみに、これらの領域は道徳的な意思決定とともに、自制、情動的共感、社会的な思考への情動の統合にも関与する。

 

 

さて、寄り道はここまでにして、最後に「成功したサイコパス」を対象とした著者らの研究を紹介しよう。

 

 

 

冷血

 

著者らは、ある研究によって示された「「成功したサイコパス」は予想される前頭前皮質の欠陥を示さず、自律神経系の異常が見られない」という発見を受けて、彼らの自律神経活動と実行機能を「成功していないサイコパス」と健常対照群の3グループで比較調査・検証した。

 

その結果は次のようになった。

 

f:id:mk8810b:20180421225806j:plain

f:id:mk8810b:20180421225813j:plain

 

これは驚くべき結果だ。

 

彼らは「安静時の」心拍数や皮膚コンダクタンス(自律神経系活動の尺度)は「成功していないサイコパス」と同レベルなのに対して、

 

社会的ストレス(自分の最大の欠点についてビデオカメラの前でスピーチをすること)が負荷されると ”急激に” 上昇した。

 

また実行機能については、「成功していないサイコパス」どころか健常対照群よりもはるかに優れた成績を残している。

 

これらの結果をどう解釈するべきだろうか。

 

 

著名な神経科学者 アントニオ・ダマシオは、適切な意思決定の形成には”情動と認知の統合”が必要だとする、「ソマティック・マーカー仮説」を提起した。

 

ソマティック・マーカーとは、危険な行為や難題を考える際に引き起こされる、自律神経系に支配された、動悸や発汗などの身体の不快な状態を指す。

 

このソマティック・マーカーは、過去のネガティブな結果を徴づけるものであり、脳の体性感覚皮質に蓄えられる。

この情報は、さらなる評価や意思決定が行われる前頭前皮質に伝達される。

 

そして、現在と同じ状況が以前にネガィブな結果に至ったことがある場合には、過去のその出来事に結び付いたソマティック・マーカーは、意思決定が行われる脳領域に向けて警鐘を鳴らし、その結果、行動が抑制される。

 

 

たとえば、「成功したサイコパス」がセブンイレブンに押し入って強盗を働こうと考えているとする。

 

街路を見渡して誰も見ていないことを確かめる。

同時に、無意識のうちに”おぼろげな全体像”を形成しながら状況を逐一捉えている。

 

そして、思い切って店に押し入ろうとする。

しかしその瞬間、踏みとどまる。

 

”おぼろげな全体像”のなかの何かが引っ掛かったのだ。

要するに、ソマティック・マーカーが、同様な状況のもとで危うく捕まりそうになった経験があるという警告を発したのだ。

 

このような警鐘は、たとえば時間帯や店員の数が同じであること、前回も今回も酒を一杯ひっかけた後であること、あるいは視覚や身体感覚を通して伝えられるその手の兆候組み合わせが検知されることで鳴らされる。

 

「成功したサイコパス」はこのような”自律神経系の敏感な反応”によって、ソマティック・マーカーの警告ではなくパトカーのサイレンの音を聞く破目になる「成功していないサイコパス」より、うまく立ち回ることができるのだ。

また、彼らの優れた実行機能も一役買っている。

 

ちなみに、低い心拍数は「刺激の追求」を引き起こしうる。

「成功したサイコパス」は、いざ殺人を犯すときにどう感じているのだろうか。

 

おそらく「奴らは冷酷なのだから、心拍数は平常時とほとんど変わらないのではないか」と予想するかもしれない。

 

しかし、その予想はマイケル・ロスには当てはまらない。

 

 

ロスは、知能の高い連続殺人犯だ。

彼は、殺人を犯した直後にどう感じたかについて次の3点を挙げている。

 

最初に感じたのは「心臓の鼓動」だ。

まさに早鐘を打つようだった。

 

それから「手の痛み」を感じた。

いつも手で絞め殺していたからね。

 

その次に感じたのは「恐れ」だと思う。

自分の目の前にしたいが横たわっているという現実がのしかかってきて、恐ろしくなってきたんだ。

 

 

 

以上の説明を踏まえると、「成功したサイコパス」は「情動と認知を高度に統合し、合理性に基づいて冷徹に自己利益を追求するサイコパス」といえる。

 

こうした能力は、たしかに社会で成功する上で重要になる時があるだろう。

 

しかし「成功したサイコパス」の根底にあるのは”煮えたぎる窯のような怒り””慢性的な刺激の追求” であり、一見すぐれた抑制機能や実行機能を駆使して巧みに犯行を行っているように思えても、実態としては半ば「感情の奴隷」として振る舞っているのだ。

 

 

隣の芝生は青く見えるというが、科学的な「成功したサイコパス」と一般的な「成功者=サイコパス」という認知の間には乖離がある。

後者については「文学的幻想」のような印象を受ける。

 

この点を理解しておき、成功者が実際にどのような人間なのかを知ろうとすることが「成功する」ため... ではなく、「幸せになる」ために重要なことだと思う。

 

 

最後に、晩年のスティーブ・ジョブズの言葉を紹介する。

 

I reached the pinnacle of success in the business world.  

私はビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。

In others’ eyes, my life is an epitome of success.

他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。

However, aside from work, I have little joy. In the end, wealth is only a fact of life that I am accustomed to.

しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた人生の単なる事実でしかない。

At this moment, lying on the sick bed and recalling my whole life, I realize that all the recognition and wealth thatI took so much pride in, have paled and become meaningless in the face of impending death. 

病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。私がずっとプライドを持っていたこと、認証(認められること)や富は、迫る死を目の前にして色あせていき、何も意味をなさなくなっている。

中略

Now I know, when we haveaccumulated sufficient wealth to last our lifetime, we should pursue other matters that are unrelated to wealth…

今やっと理解したことがある。人生において十分にやっていけるだけの富を積み上げた後は、富とは関係のない他のことを追い求めた方が良い。

Should be something that is more important:

もっと大切な何か他のこと。

Perhaps relationships, perhaps art, perhaps a dream from younger days…   

それは、人間関係や、芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。

Non-stop pursuing of wealth will only turn a person into a twisted being, just like me.

終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね。

God gave us the senses to let us feelthe love in everyone’s heart, not the illusions brought about by wealth.

神は、誰もの心の中に、富によってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。

The wealth I have won in my life I cannot bring with me.

私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)一緒に持っていけるものではない。

What I can bring is only the memories precipitated by love.

私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。

That’s the true riches which will follow you, accompany you, giving you strength and light to go on.

これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの、あなたの道を照らしてくれるものだ。

 

 

手っ取り早く市販薬でサイコパスになる方法

 

 

全然、怪しい話ではないです。

 

我ながら馬鹿馬鹿しいタイトルだなぁ、とは思うのですが 。

 

 

まあ始めましょう。

 

サイコパスになると言っても人を殺すワケではなく

 

科学のチカラを使って「高機能サイコパスになろう」ってコーナーです。

 

 

「高機能サイコパスって何」って話ですが、こんな感じです。

 

  • 恐怖、不安、怒りをコントロールできる
  • ストレス感受性が低い
  • 注意、集中力が高い
  • 長期的な目標をこなせる
  • 自制心が強い
  • 認知的共感能力が高い
  • 反社会性がない
 
「全然サイコパスちゃうやん!」と思うなら、呼び名はお好きにどうぞ。
 
 
 
 
でもこんな人間になりたいよね?
 
という訳で、さっそくクスリを紹介していきます。
 
 
 

 市販のサイコパシー

僕が購入したものは、 ただのサプリ です。

 

ガッカリしないでください、効果はちゃんとあります。 

 

そしてサプリだからこそ、安全性は高いのです。

 

要は「頭が良くなるから魚を食べる」ってのと本質は同じ。

 

 

ただし、ターゲットは神経伝達物質

 

よく怪しい脳科学の文言で「前頭葉の活性化」とか言いますよね。

 

その意味を、身をもって体感していただきます。

 

 

購入するサイトはコチラ。

もちろん登録無料です。

 

www.iherb.com

 

安価で良質なものが多く、届くのが早いです。

 

お値段は合わせて6000円程度。

 

一つ120錠なので、1日50円の投資で高機能サイコパスになれます。

 

僕が購入したものは次の2つ。 

 

 

 

①「5-HTP

https://iherb.co/HTQ6pMf

 

所謂「トリプトファン」で、セロトニンメラトニンの前駆体です。

 

 

セロトニンの効果は、一言でいえば ”穏やかさ”

うつ病の人は、これが欠乏している状態です。

 

 

メラトニンは簡単に言えば”睡眠物質”

自然な眠気、深い眠り、スッキリした目覚めを与えてくれます。

 

 

トリプトファン必須アミノ酸の1つで、体内で合成することができません。

そのため、普段は乳製品や大豆から摂取する必要があります。

 

 

でも牛乳とか豆乳を毎日飲む人っているんですかね?

 

僕は飲みません。

だからサプリで補給する必要があります。

 

 

さて、レビューに入りましょう。

 

 

僕は、これを飲んだ当日に効果が出ました。

 

毎日10時間寝ても眠いロングスリーパーだったのに、

 

夜中の3時に寝て、朝の7時に起きちゃいました

 

 

 

しかも目覚めはスッキリ。

 

日中に眠くなることはありませんでした。

 

 

それまでは処方睡眠薬で、脳を強制シャットダウンさせていました。

 

それでも二度寝していた僕が、一発でスッキリ目覚めるようになったんです。

 

 

これは劇的な変化です、いやホントに。

 

誇張ではなく、これだけで人生が変わりました。

 

 

 

しかし、トリプトファンには「セロトニン」の効果もあります。

 

これがサイコパスの精神力に寄与します。

 

 

つまり、どんなときも”気分が穏やか” なんです。

 

 どういう意味か分かりますか?

 

 

サイコパスは、ストレスや怒り、不安を感じても即座に抑えることができます。

 

これと同じことができるようになります。

 

というか僕の場合、そもそも不幸を感じないレベルになりました。

 

 

街中で声をかける不安も

 

プレゼンの時の緊張も

 

人に怒られても

 

我慢するまでもなく、穏やかでいられます。

 

 

ストレスフルな仕事の人、いざという場面が多い人にも超オススメです。

 

うつ病やコミュ障の人も、これで救われるんじゃないでしょうか。

 

 

ちなみに、この状態なら平気で嘘をつけるし、魅力的だと思わせるのも容易いです。

 

でもそういう興味は何となく失せて、自然と他人に優しくなれます。

 

なんて理想的。

 

 

 

②「N-アセチル  L-チロシン

https://iherb.co/2y9hJE77

 

トリプトファンによって、サイコパス的なメンタルが整いました。

 

次は 「高機能」になるための ”活力” を手に入れましょう。

 

 

このサプリは、「チロシン」というアミノ酸です。

 

チロシンドーパミンの前駆体になります。

 

そしてドーパミンは、やる気と集中力を生み出します。

 

 

 

「やる気と集中力ね~」って感じですか?

 

そんな生ぬるい効果じゃありません。

 

 

 

僕にはADHDの症状がありました。

 

人と話しているときに別のことを考えたり

 

本を読んでいても周りが気になったり

 

数分前にやろうとしたことを忘れたり

 

ある日突然、衝動的に13万のパソコンを買ってみたり...

 

 

ここまでではなくとも、あなたも日常的に

 

「なんかやる気出ね~」

 

「全然集中できね~」

 

「落ち着かね~」 って時、ないですか?

 

 

たとえば仕事や勉強に熱が入らなかったり

 

勉強中にスマホが気になったり

 

やることが多すぎてウンザリしたり

 

 

 

全部解決します!

 

それはもう、「スーパー健常人」になった気分です。

 

 

 僕の場合、難しい本を2時間で200ページ読んだり

 

家事や仕事のタスクを次々にこなしたり

 

この記事もそうですが、言葉が自由自在に出てきます。

 

 

頭の中が、整然とフル稼働するんです。

 

「よし、やるぞ!」なんて意気込む必要ありません。

 

 

自然に、つい集中してしまう感覚です。

 

気が付いたらスゴい時間が経っていて、仕事がバリバリ片付いています。

 

 

 

未来につなげる

 

この2つのサプリの力を借りて、”あること”  ができるようになります。 

 

 

それは瞑想

 

 

「サイコパスの能力とマンドフルネスの関係 」でも書きましたが、

 

これらの能力を瞑想で強化することができます。

 

 

1日10分の瞑想を8週間も続ければ

 

前頭葉灰白質および海馬の体積が増加し、扁桃体の体積が減少します。

 

 

そのため、ストレス耐性、自制心、共感能力などを高めることができます。

 

これは「高機能型」サイコパスの専売特許と言ってもいい。

 

 

今回紹介したサプリで、瞑想を行うための精神力がMAXになります。

 

さらに瞑想を行うことで、あなたの脳をモデルチェンジできます。

 

その効果は半永久的。

 

 

こんなに素晴らしい科学的事実があるのに、実践しないのはもったいないです。

 

 

 

僕はすでに習慣化していて、1年以上継続しています。

 

どうなったのかは、言うまでもありません。 

 

 

やり方はすごくシンプル。

 

①リラックスした姿勢を保ち

 

腹式呼吸で、4秒息を吸って、8秒吐く

 

これを呼吸に集中して、10分行うだけです。

 

f:id:mk8810b:20180415094448p:plain

 

 

あなたも今、目を瞑って、1分だけやってみてください。

 

途中で余計な思考や感情が浮かんでくると思います。

 

気が付くたびに、それを息と共に吐きだし、注意を呼吸に戻します。

 

まずはこれを1週間続けてみましょう。

 

 

慣れないうちは少し難しいですが、穏やかな活力があれば簡単です。

 

そこで紹介したサプリが役に立つわけですね。

 

 

 

これらは、僕にとって最強のライフハックです。

 

あなたもぜひ、試してみてください。

 

下のリンクからまとめて購入できます。

 

iHerb.com - Create Basket

 

 

サイコパスに良く支配される方法

 

ニッコロ・マキャヴェッリは、読書を通して諸国の栄枯盛衰を知り、それから導き出される支配者の実践的知識として「君主論」を書いた。

 

これから僕は、「君主論」を通してサイコパスマキャベリズムを語り、サイコパスに支配される方法を語ろうと思う。

 

 

「ダークトライアド」は、人間の邪悪な3つのパーソナリティを指す言葉だ。

それは「ナルシスト」サイコパス」「マキャベリズム」である。

 

マキャベリズムは残酷で狡猾な支配者の行動規範といわれている。

だとすれば、サイコパシーはそれを行うための精神的基盤だ。

 

そのため、殆どの人はマキャベリズムを知ったところで実践には至らない。

しかし、彼らの行動規範を理解することで、彼らに「味方」と思わせる方法が分かる。

 

ところで、個人的にマキャベリズムは必ずしも悪ではないと考える。

その点について考えながら読み進めると面白いかもしれない。

 

 

マキャベリスト的人間観

マキャベリは、人間を次のように見る。

 

”人は軽微な危害については復讐するが、深刻な危害については復讐できない。”

なので、復讐するときには徹底的にする必要がある。

 

 

”人間というものは、確かな経験を目にしない限り、新奇な事柄を真実とは信じない。”

なので、自分の要求や新たな規則については、目に見える結果を示すことで”納得感”を与えることが重要になる。

 

 

”人間というものは、危害を加えるだろうと信じ込んでいた人から恩恵を受けると、その者に対してより一層の恩義を感じる。”

だから、恩を売って人々から搾取したければ、気前のいい人であるよりも、まずは恐れられる人であるようにした方がよい。

 

 

”人民は、貴族に対して抵抗できないことが分かると、一人に名声を集め彼を君主にして、その権威によって守ってもらおうとする。”

だから、不満の募った人々の心を掌握するには、人々に対して自分が有能な味方であることを示し、権威をもつことが重要になる。

 

 

”人民は、正義によって満足させることができる。”

だから、人々に少しの理不尽さや苦痛を容認させるためには、彼らに正義感を与えるとよい。

 

 

”人間というものは恩知らずで、移り気で、猫かぶりで、空とぼけていて、危険を避けようとし、儲けることにかけては貪欲だ。”

信義や愛情深い支配者であることを示したところで得られる忠誠心は不安定なので、罰への恐怖財産への欲望を煽り支配できる能力も重要だ。

 

 

”人間というものは、恐れられているものよりも愛されている者のほうを、より躊躇うことなく害するものである。”

どちらかと言えば、愛されるよりも恐れられる支配者である方がよい。

 

 

”人間というものは、財産を奪われたことよりも、父親の死のほうを早く忘れてしまうものだ。”

なので、味方につけたい人々から金銭的に搾取するのは良い方法ではない。逆に、恩恵によって味方につけることは容易い。

 
 

”人間は邪悪であり、君主に対して信義を守らない。”

なので、君主も人々に対して無闇に信義を守ろうとする必要はない。

 

 

”人間は極めて単純で、やすやすと目先の必要性に従ってしまうので、騙そうとする者は常に、騙されるがままになっている者を見つけるであろう。”

つねに他人を手放しで信頼すれば呆気なく裏切られるが、騙す機会をうかがっておけばそれを利用することができる。

 

 

”大多数の人々は、名誉も財産も取り上げられなければ、どんな時でも満足して生活する。”

なので、正義感といった名誉や財産を与えることは、人々を味方に付けるうえで最優先すべき事である。

 

 

”君主政体が発足したときに敵対していた人々でも、保身の為にその君主政体を頼りにせざるを得ないと考えた者は、君主に極めて容易く味方に引き入られる。”

だから、時に悪徳に振る舞わなくてはならないときでも、そうした支配者が人々から”必要とされる理由”を作り出すことで、むしろ忠誠心を引き出すことができる。

 

 

”しかも彼らは、自分たちが抱いていた悪しき考えを実際の行為で打ち消す必要があると感じているだけに、それだけ一層忠誠心をもって君主に仕えることを余儀なくされるのである。”

なので、かつて敵対心を抱いていた者に対してはその事実を十分に指摘することで、より献身的に従わせることができる。

 

 

 要するに人間は、「臆病で形だけの正義感が強く、目先の利益に弱く、騙されやすく、移り気で、保身を第一に考え、利益をもたらす者に忠誠心を抱く」と言える。

 

これが邪悪な見方だが、それが実際に間違いかどうかは別の話だ。

 

そして、世の中はこのような人々で溢れているということを理解し、その性質を利用しなければ君主も国も破滅するので、このような考え方は合理的なのだ。

 

 

君主としての心構え

マキャベリはさらに、これらを実践する上で重要なことを指摘している。

 

”人間は甘やかされなければならないか、抹殺されなければならないか、そのどちらかである。”

 

 

軽微な危害を加えれば復讐されかねないので、誰かに危害を加える場合には、復讐を恐れなくてもいいように為されなくてはならない。

 

 

”そして、為すべきすべての危害を十分に検討し、毎日危害を繰り返さないよう、すべてを一気に行う必要がある。”

 

 

いたぶるだけの危害は憎しみを生んでしまう。

一瞬の危害は必要性を示せば正当化される。

そういう生き物なのだ。

 

 

”また、危害を繰り返さないことによって人々を安心させ、恩恵を施して彼らを味方につけなければならない。”

 

 

恩恵については、よりよく味わうように、少しずつ。

 

 

”どんな時代状況においても、自分の市民たちが国家と彼とを必要とするための方法を考えておかなければならない。

 

 

”「どのように生きているか」と「どのように生きるべきか」ということは非常に懸け離れているので、為すべきことのために現に為されていることを蔑ろにする者は、自らの保持よりもむしろ破滅を学んでいるのである。”

 

 

なぜなら、全ての点で善を為そうとする者は、必ずや善からぬ者たちの中で破滅することになるからである。

 

 

そういうわけで、君主がその地位を保持しようと望むのであれば、善からぬ者にもなりうることを学び、必要に応じてそれを用いたり用いなかったりするべきである。

 

 

”善いと思われる資質を全て身に付けることも、それらを完全に守ることもできない。それというのも、人間の諸条件がそれを許さないからである。”

 

 

また、悪徳なしには君主の地位を救うことが困難であるのなら、そういう悪徳の汚名を受ける羽目になることを気にかけてはならない。

 

 

”気前が良いと受け取られるように気前の良さを用いると、それは君主を害することになる。”

 

 

そのような君主は、そうした事業に常に自分の全財産を使い果たすことになるだろう。

 

 

そして結局は、気前が良いという評判を保とうとすれば、異常なまでに人民を抑圧し、重税を課し、そのために臣民たちは君主に憎悪を抱くようになる。

 

 

さもなければ、君主が貧乏になってしまったために、彼はだれからも尊敬されなくなってしまうであろう。

 

 

したがって君主は、自らの打撃を被ることなしには気前の良さが認められるようにこの美徳を用いることはできないのだから、賢明であるなら、ドケチという評判を気にかけてはならない。

 

 

しかし、あなたが君主の地位を獲得する途中なのであれば、気前が良いというように受け取られるのは大いに必要である。

 

 

結局、君主が存続する手段として悪徳を正当化している。

たしかにそれは事実だが、それを非難する人もまた、常に善であることはない。

マキャベリは、何も常に悪徳を勧めているのではない。

 

 

ここで「人々」ではなく、君主と近い関係にある「側近」へ視点を変えてみよう。

 

 

マキャベリスト的支配者に気に入られる

君主の身近にいる人たち、すなわち「側近」が優れた人物であるほどその君主は優れていると評価されるので、君主はそのような人を欲する。

 

そして思慮深い君主であれば、そのような側近を丁重にもてなしながらも、裏切れるほどの力は与えず、結局は「忠誠心の高さ」でその人の扱い方を決めることになる。

 

 

マキャベリは、側近について次のように述べている。

 

 君主がどのようにすれば側近を見分けられるかについては、次のようなやり方があり、しかもそれは決して間違うことはない。

 

 

”すなわち、側近が君主ではなく自分のことを考えている時、あるいは自分の利益となる行動だけをとっているとき、そのような者は良い側近とは言えず、信頼するべきではない。”

 

 

”他方、君主の方では、側近を善良に保つために、側近のことを思い、側近に敬意を表し、側近を豊かにし、君主への恩義を感じさせ、名誉と責任を分け与えなければならない。”

 

 

それは、側近に自分は君主なしではありえないということを分からせるためであり、多大な名誉はそれ以上の名誉を求めさせないためであり、多大な富はそれ以上の富を望まないようにするためであり、多大な責任は改変を恐れるようにするためである。

 

 

したがって、側近たちが、そして側近の取り扱いについて君主が、以上のようになった時に、彼らは互いに信頼しあうことができるのである。

 

 

そうでないときには、つねに、どちらにとっても結果は有害であろう。

 

 

君主と側近は互恵関係を結ぶことができる。

 

逆に言えば、あなたが彼から良い待遇を受けていないとき、それはあなたが無能であるか、彼が無能であるか、そのどちらかだ。

 

 

また、彼に忠誠心を示す必要があるのだが、このようなとき、大抵の人は”媚びを売る”という過ちを犯す。

 

ここで私は一つの重要な問題、つまり、君主が極めて思慮深いか、あるいは賢い人選をしない限り、そこから身を守るのが難しい誤りについて触れずに済ませたくない。

 

 

それは「こびへつらう者」のことであるが、宮廷はこうした連中に満ち溢れている。

 

 

なぜなら、人間は自分自身のこととなると自らを満足させようとするあまり、簡単にたぶらかされて、この「こびへつらう者」という疾病から身を守るのは困難だからである。

 

 

そして身を守ろうとすると、軽蔑を招くという危険を冒すことになる。

なぜなら、君主に本当のことを言っても君主の機嫌を損ねないということを人々が理解する以外、こびへつらいから身を守る方法はないからである。 

 

 

 だが、誰もが君主に本当のことを言えるならば、君主は尊敬されなくなるのである。

 

 

したがって、思慮深い君主は第三の方法を選ばなければならない。

 

 

”賢い人々を選んで政府に召集し、この選ばれた者たちだけで本当のことを語る自由な機会を与えるのである。”

 

 

しかも、自分が彼らに尋ねた事柄についてだけ語らせ、その他のことについては語らせないようにして、—とはいえ、彼らにはどんなことでも尋ねなければならない―彼らの意見を聞かなければならない。

 

 

”そして、これらの助言を受け入れるにあたっては、各人が自由に本当のことを語れば語るほど、それだけ一層彼らの助言が受け入れられるのだということを、彼らの一人ひとりに対して分からせるように振る舞わなければならない。”

 

 

それどころか、誰かが、何者かを慮って自分に本当のことを言ってないことに気が付いた時には、怒らなくてはならない。

 

 

ここまで読んでもなお、媚びを売ろうとする人に対して言うことは何もない。

 

僕自身、毎日のように飛び交うお世辞や媚びにうんざりしているのだが、それは互いに何のメリットもないからである。

 

 

「経営者視点」という言葉を使って仕える人に都合のいい役割を期待する人がいるが、このような人は非常に愚かで、そのような人に媚びへつらう人も同様に愚かだ。

 

 

むしろ経営者が「従業員目線」を確立し、そのメリットを目に見える形で示し、敬意をもって立場を明確にしたうえで従いたいと思わせる方がよい。

 

 

自分の利益を最優先することはサイコパスの行動原理だが、賢明な人であれば、その中で他者への配慮が生まれるのは必然だ。

 

 

したがって、こちらへの配慮を欠いておきながら、自分への配慮だけを求めるような人は無能なので、たとえサイコパスでなくとも縁を切った方が有益なのである。

 

これは従う側にも言えることだ。

 

 

ところで、マキャベリズムが現代でも通用するのか」という疑問は重要で、彼自身も次のように述べている。

 

ところで、個々の事例をもっとよく見てみると、私は次のように言いたい。

 

それは、性質や資質の変化が何も見られないのに、今日は日の出の勢いだった君主が明日には滅亡する、ということである。

 

私が思うに、それはつまり、そういう君主は何から何までに頼っていたために、運が変転するや否や破滅したのである。

 

次いで、私は、その君主は、行動の仕方が時代の特性に合っていたから、幸運に恵まれたのだと思う。

 

同様に、行動の仕方が時代と合わなくなったために不運に見舞われたのである。

 

”運命は時代状況を変化させるが、人間は自分たちのやり方に固執するので、両者が合致している間はうまくいくが、食い違いが生まれると直ちに不運に見舞われるのだ。”

 

 

サイコパス的リーダーは時代遅れ? でも書いたように、従来のサイコパス的リーダーが成功する時代は終わりを迎えつつあるのかもしれない。

 

しかしマキャベリスト的リーダーは、その性質からして時代の変化に柔軟だ。

僕が前回で示したかったのは、まさにこのことだ。

 

そのようなリーダーを見極め、彼らに良く支配されることは、たとえその人がサイコパスであっても有益である。

 

逆に、悪徳を非難するだけで結果が出ないリーダー、フォロワーは、机上では美しくとも実態は有害だ。

 

 

僕も「行動の一貫性」や「忍耐」には興味が無い一方、「行雲流水」や「互恵関係」といった言葉を好んで使い、そのように”生きている”。

 

それは、こうした点で理にかなっていると考えているからだ。

 

 

 

”「どう生きているか」と「どう生きるべきか」は懸け離れているのである。” 

 

 

参考

君主論 (光文社古典新訳文庫)

君主論 (光文社古典新訳文庫)

 

 

サイコパスの扱い方

 

前回は、サイコパスが対人操作で用いる手法について説明した。

今回はそれを踏まえて、彼がサイコパスだと判明した後の関わり方について解説する。

 

 

犠牲者になるのを避ける方法

  • 人間の本性や行動に関して、危険な誤解をしないこと
  • 相手の性格を正しく評価できる方法を知る
  • 自己認識力を高める、弱点を把握する。
  • 相手の手口を見極め、相応しい方法で対応する。
  • 負ける戦いには手を出さない

これが重要な指針となる。

それでは具体的な話に入ろう。

 

 

危険な誤解を避ける

あなた自身の人間観が脆弱であれば、それは付け込まれる弱みとなる。

特に致命的な誤解は、性善説や感情的な愛着、責任感や良心、罪悪感や恐怖感情をもつといった性質を含め、「人間は基本的にみな同じだ」という誤解だ。

境界性や自己愛性などの他のパーソナリティ障害と比べても、サイコパスの人間観や世界観、行動規範は共有することができない。

 

具体的には、境界性が他者を操作したり自己愛性が傲慢に振る舞う背景には、他者からの愛情や称賛を求めるといった情緒的な側面が多い。

一方サイコパスにとって情緒的なやりとりは、都合のいいジョークのようなものだ

対人操作は物質的利益を得るための手段に過ぎず、傲慢さは理想の自己との一致を図るからではなく、他人はモノに過ぎないという観念から生じるものだ。

あなたが情緒的な関係に固執する限り、サイコパスは演技をして搾取を行うだろう。

 

多くの人はサイコパスの行動の理由に疑問を抱きがちだ。

その困惑自体が弱みなのだ。

そのため、彼らは別の世界を生きているのだと理解する必要がある。

 

 

相手の性格を正しく判断する

普段、彼がどのように他者と関わっているのか、その付き合い方から性格を明らかにすることができるだろう。

 

「相手を押しのけて自分を押し通す」

「つねに勝利を考えている」

「有意な地位に必ず立とうとする」

「相手に”ノー”と言わせない」

「単刀直入な質問にきちんと答えない」

「悪意に満ちた行為を犯しながら言い訳をする人」

「あなたの罪悪感を刺激してくる人」

「手段を選ばず相手を不利な立場に貶め、自分の思い通りにしようとする人」

 

こうした特徴がうかがえるなら、恐らくサイコパス的な人物を相手にしているのだと確信できる。

さらに詳しく見ていこう。

 

 

自分の性格を熟知する

サイコパスが切り札としているのが、犠牲者がどのような性格かという知識だ。

彼らは、自分の戦術に相手がどう反応するのかを熟知している。

そうであるならば、あなたもまた自分自身について熟知し弱点を克服しておくのが合理的な手段だ。その際には、次のポイントを参考にするとよいだろう。

 

  1. 過剰にナイーブである

実生活で対人操作を受けていると気づいていながら、「相手はそんな人間であるはずがない」という”否認”をする傾向がある。相手の本性が狡猾で悪質だという証拠をどれだけ見せつけられても、こうした考えを認めることができない。そして繰り返し痛い目に遭っている。

 

 

  1. 過剰に良心的である

人に対してではなく、自分自身に対して厳しいタイプではないだろうか。

サイコパスを相手に「疑わしきは罰せず」とばかりに、墓穴を掘ってしまう。

傷つけられても相手の立場を斟酌するばかりで、どれほど自分が追い込まれても、原因はこちらにあると自分を責めてしまう。

 

 

  1. 自信に乏しい

サイコパスと対峙したときだけでなく、普段から人と関わる際に手際よく問題解決を図る能力に対する自信が乏しいかもしれない。このタイプの人が好戦的な人物に挑まれると、自己主張を早々に放棄して防戦一方にまわっていく。

 

 

  1. 理詰めで物事を考えすぎる

相手が攻撃的な行動に及ぶのは、それなりにもっともな理由があるからと考えているのなら、それは自分自身を欺くことにもなりかねない。

理由さえわかれば、状況を一変させるには十分だと信じ込んでいる。そうした考えから、たまたま納得するような理由に思い当たるかもしれないが、その時点で既に立場が不利になっている。

この世にはただ自分の欲望を満たすためだけに人を攻撃する(道具的攻撃性をもつ)人が存在するという、簡単な理屈を受け入れることができないのだ。

 

 

  1. 依存感情

服従的で、ひとりで主体的に行動することに恐怖を感じていないだろうか。

こういうタイプは、自身に満ち溢れる者、独立心旺盛な者、相手の好戦的な性格に最初から惹かれているのかもしれない。

関係が深まるにつれ、逆らって見捨てられるのを恐れるあまり、相手の言いなりになっている可能性がある。

 

 

展開を読んで手を打っていく

相手がどんな駆け引きに出てきてもいいように、頭に叩き込んでおく基本のルールがある。それは、「いずれの策略にも動揺してはならない」ということだ。

そして、正しいと思える要求と欲求にのみ従って応対する。

相手の振る舞いで自分の言動に対して受動的になったりせず、たじろがずに自己主張しなくてはならない。

 

 

負け試合には手を出さない

サイコパスに翻弄された人は明晰な思考ができなくなり、合理的に振る舞えなくなる傾向がある。相手に勝つことにこだわれば必ず直面する無力感と絶望、その思いが原因となって鬱状態に陥ってしまう。

 

ここでいう勝ち目のない戦いとは、「自分を操作しようとする相手を何とかして変えようとすること」だ。

この戦いの果てには、避けようのない怒りが待ち受けている。

欲求不満が募り、絶望が頭をもたげ、そして鬱状態になる。

そうした人は心の安定を失い、自分を律する気力さえも無くしてしまう。

 

 

具体的な対応方法

これまではサイコパスと対峙する上での心構えについて話した。

それでは、具体的なかかわり方について説明をする。

 

言い訳を聞き入れない

相手の不適切な行動に対する合理化を許してはならない。

その行動が害を及ぼすものであるならば、どんな理屈であっても不適切なものには変わりない。

 

相手がそんな言い訳を口にするのは、今の支配的な立場に固執しているからだが、そんな立場に留まろうとすること自体がそもそも誤りであるということを覚えておくべきだ。

 

相手がこちらに対して説得する権利は尊重するが、その言い訳を聞く耳はいっさい持たず、聞いたからといって自分の考えを変えるつもりはないということを知らしめることが重要だ。

 

 

意図ではなく行動で判断する

境界性、自己愛性、サイコパスに共通する行動について意図が違うという視点から分類行った。

しかし実生活においては、サイコパスは自分の行動を情緒的な意図で行っていると錯覚させることが可能だ。

 

そのため、相手の行為に対して「どうしてこんな行為に及ぶのか」と深読みしたりしてはいけない。相手の真意など知る由もないし、いずれにせよ行為としては不適切なものには変わりない。

 

特に重要なことは、あなたがそのように考えを巡らせることによって「注意が肝心の問題から逸らされてしまう」ということだ。

自ら進んで選択注意の罠にかかるのは馬鹿げている。

 

相手の意図によっては酌量の余地を与えようなどと考える人は、サイコパスにとってカモでしかない。

 

 

個人的な限界を設ける

対人関係において重要になってくるのは、次の二つの限界を設けておくことだ。

第一に、「相手の行為に対して、どの程度までなら許容でき、それを超えたら反駁するとか、関係を切るなどを決めておくこと」

第二に、「自分自身をもっと大切にするため、どんな行動とれるのか」

これを、あなたの意志と可能性の両面から決めておく必要がある。

 

「自分さえ耐えれば何とかなる」と考えて限界を先延ばしにするのは、人間関係の泥沼化を招く。

前回でも述べたように、そうしたメンタリティは相手のサイコパシーをさらに強化する餌でしかない。

 

 
はっきりと要求する

頼み事をするときは、自分が何を望んでいるのかをはっきりと相手に伝える。

必ず「私は」と語るようにし、曖昧な言い方を避ける。

「私は○○してほしい」「これ以上私に○○するのはやめて欲しい」と明確に伝える。

 

これによって次の効果が期待される。

第一に、相手から曲解される(あるいは意図的に誤解される) 余地を減らすことができる。

第二に、ダイレクトな要求にたいして曖昧な応答が返ってきた場合、こちらに対して攻撃の最中だとか、協力を拒んでいる、あるいは何らかの妨害を企んでいると知ることができる。

 

 

ダイレクトな返事だけを受け入れる

はっきりと要求したら、相手もダイレクトな返事をするように促す。

誤魔化してきた場合にはもう一度尋ねる。

その際、けんか腰や威嚇的な調子ではなく、「自分にとって重要な問題であり、ただちに対処すべきものだ」と敬意をもって主張する必要がある。

 

こうした率直なコミュニケーションが取れないタイプの人は、それゆえにサイコパスに利用される余地がある。

相手を変えようとするよりもまず、目の前にいる相手と対等に渡り合う度量が自分にあるのかを見極め、自分が変わる必要があるのだ。

 

 
相手を問いただすときには責任を突きつける

不適切な行為を問いただすのなら、こちらに責任を転嫁する策を弄してこようとも、相手が害を加えようとした言動そのものに注意を集中させなければならない。

非難や責任を転嫁する相手の思惑などを聞き入れてはならず、誤った行為を正すために「何をするのか」相手に要求し続ける。

 

相手の合理化には耳を貸さず、話題を逸らそうとする手口にも乗ってはいけない。

過ちを犯せば、それを変えるための重荷は当の本人が負わなければならない。

それについて、相手に対して個人的な憎しみや怒り、後ろめたさなどを感じる必要はない。「相手の言動がそれによってどう変化するか」、ただそれに注意を集中させる。

 

 

露骨な非難は避ける

サイコパスは、攻撃を仕掛ける口実探しに常に余念がない。

自分に向けられたいかなる敵意も”攻撃”と受け止め、それに応戦することは正しいことであるとさえ感じている。

また、性格について非難を受けると、否認や選択的注意、他罰というお得意の手口で攻撃してくる。

 

サイコパスに対して怖気づく必要はないが、その際に率直になりすぎて攻撃的になってはいけない(そう思われてはいけない)ということだ。

 
自分の意見を話す

サイコパスを相手にするときは、かならず「私は」という主語で語るようにする。

他の人間の意見を”盾”として用いるのは、自分が気後れしているという事実をみすみす白状するようなものだ。

自分の正当な権利を守るため、正々堂々と立ち向かう勇気を持つことが大切だ。

 

そして双方が納得できる win-win な合意を目指して話し合いを進め、お互いが約束を守るということを認めさせなければならない。

「お互いが得をする」状況を目指すことは非常に重要で、自己利益が行動原理であるサイコパスと建設的な関係を結ぶためには、この手段しかないと言えるほどだ。

 

 

これまで話してきたことは「サイコパスの扱い方」であるが、一般のコミュニケーションでも非常に重要になってくる。

 

前回の冒頭で「誰しもサイコパス的になる時がある」という話をしたが、感情的な人間でさえも、サイコパスの手口を無意識のうちに利用していることは多い。

 

サイコパスと関わりながら怒りを覚える人は、そうした疚しさが自分の中にもあるからだとしか思えない。

それを自覚し律する努力を考えたこともないからこそ、サイコパスの行動について感情的になるのだ。

 

お互いにそうした面があることを認められれば、最後のポイントである「お互いが得をする関係」に持ち込むことはできるはずだ。

人を操り支配する戦略と手法

人は誰しも、サイコパス的な特徴を示すことがある。

 

それは攻撃的かつ操作的なので、無意識に行わないよう注意を払うべきだ。

特に、自分は正しいとか良心的だと思っている人の操作はタチが悪い。

本当に良心的でありたいのであれば、この点にも気を配ろうと思うはずだ。

 

また、対人操作について学んでおくことは重要だ。

周りを見渡せば、世界はあなたをコントロールしようとするヒトで溢れている。

それから身を守るためには、相手の手口を理解しておく必要がある。

逆に、状況によっては他人を操作すべき時もあるだろう。

 

 

今回は、ジョージ サイモン 著「他人を支配したがる人たち」から、具体的な戦略と手法をまとめたものを紹介する。

 

 

否認

防衛機制のひとつと考えられている。

”耐え難い心理的苦痛から自分を守るために無意識のうちに用いられる、ある心理的状態”

 

たとえば、妻の死を受け入れられない夫が、動かなくなった脳波計を見てもなお「きっと助かる」と声をかけ続けている場合は「否認」と呼ばれる。

 

 

サイコパスの学生をイメージしよう。

自分の悪事をチクられたいじめっ子が先生に呼び出されたとき、「ぼくですか?ぼくが何かしましたか?笑」とすっとぼけるのは「否認」ではない。

 

彼には”耐え難い”と形容するための「羞恥心」や「罪悪感」、あるいは「不安」といったものが完全に欠落している。

彼がいじめの事実を否定したのは無意識の「防衛」ではなく、自分の行いをハッキリと意識した上での「攻撃」とも呼べる、たんなる”嘘”である。

 

たとえいじめの目撃者を連れてきて”嘘”を見破ったたとしても、次のように答えるだろう。

 

 

「はいはい、わかりました。わかりました。」

「もしかすると、ちょっと小突いたのかもしれません。」

 

でも、それはあいつのせいです。今週からずっとしつこく付きまとわれていたんですよ。」

 

 

考慮しておくべき効果

サイコパスは巧みに感情的言動を動員し、対人操作によって自らの欲望を達成する。

そのうえで、いくらかの相乗効果が生じる。

 

  1. 自分の好戦的な意図を隠せる
  2. 頻繁に用いることで被害者を守勢に追い込める
  3. 常習的に用いることで反社会性が高まる一方、対人様式としては自分が得意とする方法として強化される。
  4. 彼らの言動をしっかりと理解できる人などほとんどいないので、他人を搾取したりコントロールする手段として、極めて効果的な手口になる。

 

 

サイコパスを見抜くためには、いくらかの行動パターンに気を配る必要がある。

特に重要なことは、「相手の敵意に気づき、それを認めること」である。

 

特に親しい関係の場合、「あの人が私を騙すはずがない」「自分が騙されるはずがない」と認知を歪めてしまうことが多い。

そして当のサイコパスも、あなたがそう思うように注意を誘導するだろう

 

 

具体的な戦略

  1. 矮小化

神経症的傾向の強い人は、些細な事でも大ごとのように受け止める。

一方、サイコパスは自分の悪事を「ありきたりで些細なもの」に見せかけようとする。

先ほどの例でも、いじめ行為を「ちょっと小突いただけ」と矮小化していたわけだ。

 

彼の言動について、「受け手がどう感じたか」よりも「自分がどんなつもりで行ったか」を強調してくる時、それは自分について理解して欲しいというよりも、たんなる自己正当化が本当の目的であるかもしれない。

 

 

  1. 虚言

嘘を見抜くためには、「相手は自分を欺いてくるだろう」と考えておくほかない。

見抜きにくい嘘をつくこともあるし、面白半分のときもあるし、明らかに嘘だと分かる時でさえ、彼らはそれを躊躇いなく口にできる。

 

サイコパスの虚言の弄し方は芸術の域に達している。

お決まりのパターンとしては、後から「あぁ、言ってなかったっけ?」と誤魔化すための”重要なことを伝えずに嘘をつく”方法がある。

この嘘は事実を並べるだけでも作ることができる。

さらに、重要な部分以外を無駄に細かく伝えることで信憑性が増す。

 

いじめを例にすれば、「ちょっと小突いただけ」と矮小化しながら「”今週から”ずっとしつこく付きまとわれていた」と脚色している。

 

”今週から”と敢えて言うことで信憑性が増すのは間違いないし、付きまとわれていたという事実はいくらでもでっち上げることができる。

そして重要なことに、「小突いたこと」への注意が逸らされる。

教師が「付きまとわれていたって、どういうこと?」と聞いてしまえば、彼の思惑通りというわけだ。

 

 

  1. 否認

これは防衛機制ではない。

自分の悪意を隠すため、あるいは、思いのままに振る舞える権利を自らに授ける行為だ。

彼らの本心である独善的な欲望ですら簡単に否認し、より認められやすい大いなる目的に従っていると演じることができる。

それとも、自分すら騙し切っているのだろうか。

 

一部の過労気味な社会人が「俺は一生好きなことをして生きるんだ」と否認し、取り返しのつかないことになる一方、「嫌なら会社をやめなさい」と言っている人はサイコパス的な否認で、独善的な欲望をセンセーショナルな人生哲学やポジショントークにすり替えて語っているのかもしれない。

 

 

  1. 選択的注意

自分にとって都合の悪い願いや警告、申し立てをわざと無視する行為である。

「そんな話は聞きたくもない」と言いながらも、相手が何を求めているのかは十分に理解している。

そもそも、たとえそれが善意であっても、他人のアドバイスや忠告を”検討する”ことですら、相手に服従する行為に他ならないと感じるだろう。

 

このような相手に対しては、彼らをあえて無視することで「相手にされない不快感」を経験させることが重要になるが、過剰に敵対的に行うのは良くない。

 

自分にとって耳の痛い話でも敢えて聴こうとする人は信頼に値するし、お互いにその努力を称え合うことで健全な自尊心と相手に対する尊敬をもつことができる。

そもそも、僕らは初めからそういう関係性を目指すべきだと思っている。

 

 

     5. 合理化

サイコパスが不適切、あるいは害をもたらすと自分でも理解している行為を行うとき、その口実のために用いられる。

これによって攻撃者自身が内心で感じている抵抗感が取り除かれ(良心であれば、それを黙らせる)、相手の口出しも封じることができる。

自分がどんなつもりであれ、相手がその行為の正当性を認めれば、邪魔されることなく自分の目的を推し進めることができる。

 

いじめ行為では「付きまとわれたから」と理由があるように見せかけ、いじめられる側にも非があったことを暗に示そうとしている。

彼らの行為の正当性が疑われたとき、彼はその行為に至った十分な理由があると合理化する一方で、相手の行為についても言及し「罪悪感を抱くように仕向ける」かもしれない。

 

 

     6. 話題転換

国会答弁でよく用いられる手法だ。

YES/NOで答える質問に対してハッキリと答えず、別の話にすり替える。

選択的注意は「返事の中で」重要なポイントではなく、些細な点に注意を逸らす一方、こちらは都合の悪い「話題自体」を変えてしまう。

 

 

  7. 暗黙の威嚇

たんなる視線での威嚇だけでなく、言葉のナイフを首元に突き立て「少しでも声を出したらどうなるか」という方法もある。

彼にとって都合の悪いことを相手が行いそうな場合、もし行えば相手にも不都合が生じるだろうと”仄めかす”のだ。

たとえば社内でセクハラやパワハラが発覚したとき、マネージャーのあなたがそれをもみ消したければどうするだろう?

 

 

    8. 罪悪感を抱かせる

これは特殊な威嚇法だ。

相手が罪悪感や羞恥心、良心をもっていることを彼らはよく理解しているので、それに付け込んで相手の自身や不安を揺さぶり、自分の意に従わせることができる。

 

DVを振るう夫は、家を出ていこうとする妻に対して「子供がどうなってもいいっていうのか?」とか「お前がいなかったら俺はもうダメだ・・・」など、本心ではどうでもいい事柄から相手の良心に訴えかけ、罪悪感を抱かせる。

 

あなたがサイコパスに対して罪悪感や良心が欠けていると感じ、それに耐えかねず何らかの行動に出ようとしたとき、当のサイコパスは人間の皮を被り、「あなたの方が罪悪感や良心が欠けている」と説得する。

かなり堪えるのではないだろうか?

 

あなたが自分を信じる限り、その時に限っては罪悪感も良心も捨てるべきだ

そして、決別してから後悔したり気を揉むのは時間の無駄だ。

それとも、一生利用される道を選ぶのだろうか?

 

 

 9. 被害者を演じる

相手の同情を得ようと、意図的に不運な人間や傷ついた被害者を演じ、相手の感情をかきたてる。重要なのは自分が本当に苦しいかどうかではなく、「相手が自分を被害者だと思うかどうか」である。

 

つまり、あなたは「彼は実は可哀そうな人なのかもしれないと心配するかもしれないが、その感情を抱かせることが目的だ。

仮にそうだとしても、何らかの物質的な奉仕や、彼の身勝手を許す理由にはならない。

 

 

  10. 人をそそのかす

サイコパスは人を称賛し、他人を有頂天にさせるのが得意だ。

お世辞やこれ見よがしに援助の手を差し伸べることもあるが、いずれも相手の警戒心を解き、自分に対する信頼や忠誠心を引き出すための手段に過ぎない。

人はだれしも何らかの精神的な欠乏や依存を感じ、それを満たすために他人の称賛や承認、評価、特別な存在だと認められたいという願いを抱えている。

こうした人間心理に精通し、相手の欲求を満たしてやれると思わせることで影響を及ぼすような人は、カルトの教祖など、一方ではカリスマと呼ばれるようなタイプだ。

 

 

  11. これ見よがしな威嚇

サイコパスと自己愛」でも述べたように、怒りは所詮手段に過ぎない

つまり、威嚇することで相手を都合よく操作しようと試みる。

「最初に怒りありき(=反応的攻撃)」ではないのだ。

ただし、もしもその企みが拒まれたときには彼らは本当に怒り出す。

 

 

 

ここで紹介した手法を見破るのは簡単ではない。

そのため、普段から意識して本能的なレベルで勘を研ぎ澄ます必要がある。

 

こうした行動を行うサイコパスを憐れんで、「あなたに変わってほしい」とか「私なら変えられる」と思うのは間違いだ。

そもそも、こうした行動それ自体が自分自身を変えることを拒んでいる具体的な抵抗の証なのだ。

 

時間が過ぎれば事情も変わるなどと、甘い期待を持つべきではない。

サイコパスとは毅然とした態度で決別するか、尊敬を持ってフェアに関わる努力を促さない限り、相手はその手法に成功体験を積み重ね、パターンを強化させることになる。

彼らの行動を甘んじて受け入れることは、あなた自身が彼のサイコパシーを強化しているに他ならない。

 

 

次回は、具体的にサイコパスとの関係を改める方法を紹介しよう。

 

文庫 他人を支配したがる人たち (草思社文庫)

文庫 他人を支配したがる人たち (草思社文庫)

 

 

 

サイコパスとADHD

サイコパスADHDは高率に合併する。

 

これまでに何度か紹介したジェームズ・ブレア 著「サイコパス -冷淡な脳-」によると、著者らが行った研究により、サイコパス傾向をもつ子供の75%がADHDを満たすことが分かっている。

 

そこで今回は、ADHDサイコパスの関係性を明確にすることを目的に解説する。

 まずはADHDについて説明しよう。

 

ADHDは「注意欠陥・多動性障害」の略称である。

発達障害の一つであり、「相当の発達水準では通常みられない頻繁かつ重篤な不注意ないし多動・衝動性」と定義される。

 

多動性は「落ち着きがない、そわそわする」

衝動性は「思ったことをすぐに口に出してしまう、衝動買いをする」

不注意は「仕事でのケアレスミス、頻繁な忘れ物をする、時間管理が苦手、物事を順序立てて行うことが困難」

などの特徴がみられる。

 

ADHDについての仮説

次に、ADHDのもつ障害について、モデルを用いて理解しよう。

 

Cohenらによって提唱された「課題文脈モジュールモデル」は、ストループ課題などの遂行能力を説明する際に用いられてきた。

 

ここで、ストループ課題について説明しよう。

たとえば青いインクで書かれた””という文字について、インクの色を答えるときの反応時間は、緑のインクで書かれた””の場合に比べて長くなる。

この反応の遅れを「ストループ効果」と呼び、ストループ課題では色の同定が課題として与えられる。

 

ストループ課題には、2つの処理過程が含まれる。ひとつは「語の理解」で、もうひとつは「文字の色を同定すること」である。

 

ヒトは「色の同定」よりも「語の理解」についてより豊富な経験を持つことを考えると、語の理解の方が受ける刺激が多く、有力な反応となる。

(実際、””について「みどり」と”読む”ことは、「青」と”色を同定する”よりも容易だろう。僕らは「語の理解」の方が有力な反応だからだ。)

 

そして「課題文脈モジュールモデル」では、反応競合状態(有力でない反応(色の同定)を引き起こそうとする状態)において、「文脈モジュール」が課題に関連しない情報(語の理解)を競合から除外することによって、この葛藤を解消する。

 

つまり、ストループ効果をどの程度受けるのかは、過去の経験だけでなく、「文脈モジュール」がどの程度影響を与えているのかにもよること、そしてこのモジュールに機能不全があると、色の同定課題で障害を示すだろうということが、はっきりと予測できる。

 

さらにADHD課題要求モジュールの障害に関係していると仮定すれば、色-語干渉条件はもちろんだが、色-同定条件においても障害を示すと予測できる。

そして、実際にADHDでは両方の条件で成績が悪いこと(遂行機能不全)が示されている。

 

イメージとしては「薬を飲む必要があり、錠剤と水を入れたコップを持ってそこにいるのだが、錠剤は口に入れず手に持ったままで、水だけを飲み干してしまう」といったものだ。

 

課題要求(薬を飲むこと)に際して、課題要求モジュールが機能不全によって活性化せず、必要な反応(水と錠剤を一緒に飲む)が引き出されず、経験的に有力な反応(水を飲む)だけを行ってしまう。

 

対照的に、サイコパスにはこうした遂行機能不全はみられない。

サイコパスはストループ課題などでまったく障害を示さないか、むしろ受ける干渉が減少する。

 

さらに、ADHDは「右前頭前皮質-線条体システム」の機能不全に関連しているが、サイコパスの中核をなす扁桃体」の機能不全とは関連しないことが分かっている。

 

しかしながら、このように明らかな病理の違いがあるにも関わらず、ADHDは高率にサイコパス傾向を合併する。(前述のとおり、サイコパスの75%にADHDが認められる)

 

 

ここで重要になるのが、ADHDが合併するサイコパス傾向は「反応的攻撃」に関するものであるということだ。サイコパスに特有な「道具的攻撃」はADHDには見られない。

 

それでは、反応的攻撃に関する仮説を説明する。

 

反応的攻撃の認知神経学的仮説

結論から示そう。

「社会的応答逆転」に関連して反応を制御するのは、BA47である。

そして、サイコパスADHDはBA47の機能不全という点で共通することがある。

 

「社会的応答逆転」は次の例で理解できる。

あなたは机の上に足をのせる癖があり、それによってリラックスするとしよう。

あなたにとってその行動は「有力な反応」である。

ある日、上司のもとに呼ばれる。

そして、上司の机を見たとすると「有力な反応」が引き出される可能性がある。

しかしながら、健常者であれば、上司が怒る可能性を予測し、有力な反応(上司の机の上に足をのせる)を起こさないはずである。

 

この「有力な反応」を抑制するのがBA47であり、「上司の怒りの予期」という社会的な条件によって反応の逆転(応答逆転)が起こるので「社会的応答逆転」と呼ぶ。

 

BA47は反応的攻撃の調節にかかわっており、反応的攻撃の高い患者群では、BA47の機能が特に損なわれていることが明らかになっている。

 

最後に、ADHDサイコパスの因果モデルを比較することによって、共通点および相違点をまとめてみよう。

 

 

ADHDサイコパスの因果モデル

f:id:mk8810b:20180326022511j:plain

サイコパスの因果モデル」:サイコパスにおいて、腹外側前頭前皮質の機能障害ADHDの衝動的攻撃要素(反応的攻撃)、反応制御課題の成績低下につながっていることに注目しよう。これこそ、これまでに説明してきた事柄の全貌である。(BA47はより一般化し、腹外側前頭前皮質として書かれている)

 

次に、ADHDの因果モデルを示す。

f:id:mk8810b:20180326022533j:plain

ADHDの因果モデル」:ここでも、腹外側前頭前皮質の機能不全が関わっており、反応的攻撃、反応制御課題の成績低下につながっている。一方で、ストループ課題の成績低下に関与する「内側および背外側前頭前皮質の機能不全」はサイコパスには見られない。そのため、注意欠陥の特徴はサイコパスには表れないのだ。

 

サイコパス特有の「道具的攻撃」には扁桃体の機能不全が関与し、その因果ルートはADHDには存在しない。

 

これらより、少なくともADHDの「多動型」はサイコパス傾向(反応的攻撃性)を高率に合併することが予想される。一方で、サイコパスは「注意欠陥型」に特徴的な遂行機能障害を示さない。

 

 

以上がサイコパスADHDの関係性を示す仮説だ。

 

この因果モデルから示唆される課題は、「遺伝負因」によって生じる器質的な機能不全のメカニズムが完全には明らかになっていないということだ。

 

つまり、サイコパスの病理となる遺伝負因がADHDの「注意欠陥型」につながっている可能性はある。

 

たとえば、「ソシオパスの告白」の著者であるM.E トーマスは、サイコパスとしての自伝の中でADHDの「注意欠陥型」に特徴的な記述をしている。

 

さらに、ウィスコンシン大学のジョセフ・ニューマンは、サイコパス「注意欠陥モデル(反応調節仮説)」を提唱している。

 

このモデルでは、サイコパスは「罰-報酬に関する反応競合状態」において罰に対する注意が障害されているために、報酬に強く惹かれて他者の苦痛(一般の人では罰とみなされる)を無視した行動=反社会的行動をとる、という風に説明される。

 

このモデルは興味深いものの、「サイコパスは罰に対して注意を向けられないというよりは、罰から学習できない」という方が正しいと思われるような問題点があり、また、このモデル自体が現代の注意モデルにどの程度合致しているのかがはっきりしないという指摘もある。

 

いずれにせよ、サイコパスと「注意欠陥」の関係性については、現在のところ保留しておくべきだろう。

 

 

今回の説明を通して主張したいことは、ADHD反社会的行動に関与していることが過去の研究によって示されているものの、それはサイコパスに見られるものとは異なるということだ。

 

攻撃性や反社会性を「反応的攻撃」と「道具的攻撃」に分けて考える重要性は、今のところ一般的な認識にまで至っていない。

 

それではADHDについてはもちろんのこと、サイコパスについても誤解が生じるリスクがある。

 

今のところ明らかになっているのは少なくとも、ADHDサイコパスの集合が部分的に共有しているのは「反応的攻撃性」であるということが重要だ。

 

 参考

サイコパス -冷淡な脳-

サイコパス -冷淡な脳-

 

 

サイコパスの倫理

M.E.トーマス 著「ソシオパスの告白」は、ソシオパスの著者が書いた自伝だ。彼女は他者との違いをソシオパスという概念で説明がつくことに気が付き、ブログなどを通してソシオパスについて理解を深めている。この本から、彼らと一般的な人の考え方が大きく異っていることが分かる。

 

彼女がサイコパスではなく「ソシオパス」という言葉を使うのは、サイコパスという言葉が狂った人間を指すチープな単語であるという印象を鑑みて、彼女自身は狂ってなどおらず、非常に機能的にサイコパス的な特徴を発揮していることを示そうとしているからだ。

 

それでは、彼女はどのようにして「機能的」なソシオパスになったのか、その説明を見ていこう

 

重要なのは道徳ではなく倫理である

多くの人が「良心」とか「後悔」と呼ぶものは一切ない

道徳の観念を「善悪についての感情的な理解」と定義するならば、そんなものは無関係なジョークのようなものだ。そのため彼女には道徳について関心はほとんどない。

 

社会的認知や共感の専門家であるシカゴ大学のジーン・ディセティは、「道徳意識」ははじめは感情的なものであることを明らかにした。とくに子供は、公正でないとか、傷つくといった社会的状況に対して強く感情的な反応を示すが、子供の感情的な道徳判断は発展していき、成人になると、結果と行動に関連する背外側・腹内側前頭前皮質によって統制されるようになっていく。

 

子供はすべての悪い行為は悪意に満ちていると捉えるのに対して、大人は悪意の程度について道徳的判断を下したり、自己を認識したり軽視したり、その程度を判断していたりする。

 

彼女はひどい行為に及んだとき心配することはあるが、道徳的な強い怒り(良心の呵責)

は覚えない。それについて怪訝な目をする人はいるだろう。だがそんなことはどうでもいいのだ。

 

彼女は、ソシオパスが道徳を感情的に捉えていないのであれば、ソシオパスはより合理的かつ寛容であると主張している。

ソシオパスが引き起こした出来事よりも、精神的に健康であると考えられる集団内で宗教が引き起こした集団ヒステリーなどのほうが、世界に大きな被害や大虐殺を引き起こしてきた。(ただし、その先頭にソシオパスがいて、彼らを先導していた可能性はあるだろう)。

 

ハンナ・アーレント 著 「イェルサレムアイヒマンー悪の陳腐さについての報告」の中で、二十世紀前半に起きた数多くの残虐的行為は、ソシオパスではなく、感情に訴えることによって操られた、共感に富む人々が手を染めたものであると示唆されている。

 

この彼女の言い分は、彼女が他者を操り傷つけたことを正当化するものというより、純粋に合理的な態度の普遍性について述べているものだ。道徳を感情的に理解しているからといって、常に善い人であることは不可能だ。「道徳感」をもっているかどうかは重要ではない。

 

ソシオパスには「善いことを行う」という道徳的衝動がないと思われ、自分自身の利益追求するという理由で道徳的にふるまう。

 

刑法では、犯罪とみなされる不法行為に対して「自然犯」と「行政犯」という二種類の概念がある。前者は「それ自体が間違っている」もので、殺人、窃盗、強姦などがある。後者は、「本質的にはかならずしも誤りではないが、社会の目的を達成するために禁止されている」もので、公共の福祉の維持を目的としている。

 

自然犯を扱う法律は一般的には不変だが、行政犯に関する法律は、状況の変化に合わせていかなければならないので、変化しうる。

 

この二種類の分類を行うことは難しいが、ソシオパスの個人的な世界では、「自然犯」を構成するようなものは何もない。「何かが間違っているから」という理由だけで、その行為を控えなければならないと感じることはない。

 

誰もが決断を下すにあたって、「近道」を用いる。

共感性に富む人々は、どのように行動するかを決めるために、ただちに情緒的な近道を用いるかもしれない。ソシオパスはこういったことをしないし、できないので、他の近道を思いつく。

 

多くのソシオパスは、「なるようになる」とか「自分の利益が第一だ」といった近道を使う。自分の人生で自己の利益を最大化する合理的な方法とは、自己の欲求を満たすことだけを考え、他者の欲求を無視することだと決めている。

 

ソシオパスの中には、自己の衝動をある程度抑えて、刑務所で過ごすのは自己の利益に背くと判断し、重大な法律違反を避けるようにしている者もいる。彼女のブログには、そういった機能的なサイコパスがどのようにして衝動を抑えているのかが書かれている。

 

「こんな馬鹿を殺して満足しても、刑務所暮らしの不便さには釣り合わない」

「いかなる理由でも私が決して超えることのない微妙な一線がある」

「私は人を殺さないと決めたのだから、この馬鹿を刺したりはしない」

 

こうした中で、特に印象的だったのが次のものだ。

「道徳感を抱くのは重要ではない。倫理こそが重要である。」

 

 

ソシオパスの「規範」の共通点として、かならずしも集団の行動を定める暗黙の了解や慣習という、社会の優勢な基準に沿っているわけではない。たとえば、自分の妻(優しく扱う)や自分の従業員(優しく扱わない)と向き合うときに、自分自身の行動基準をもっているソシオパスの薬物売人がいる。

 

分かりやすい記述を最後に紹介しよう。

私は「知的」なソシオパスである。犯罪に手を染めないし、人を傷つけることに快感を覚えないし、とくに対人関係の問題もない。

私は完全に共感性に欠けている。しかし、ほとんどの場合、それを長所だと思っている。

私は正邪の差をしっていて、善を為したいだろうか?

もちろんだ。酢よりも、蜜の方が多くの蠅を採ることができる。

平和で、秩序ある世界のほうが、私は快適に暮らすことができる。では、それが「正しい」から、私は法を破ることを避けているのだろうか?

答えは「いいえ」だ。

法を破ることに意味がないから、それを避けているに過ぎない。

私が気に入った職業でたくさんの金を稼ぐ能力がないならば、犯罪を試みて、利益を得ようとするかもしれない。しかし、私の職業で、犯罪の人生が意味があるような本当の大当たりをしなければならない。

あなたが他者にひどくあたると、彼らもあなたに仕返しをする。

私はキリスト教徒ではないが、「己の欲するところを人に施せ」は効果があるのだ。