人生における問題をサイコパス的に解いてみる

f:id:mk8810b:20170922224757j:plain

 

人は生きる上でかならず不幸な状況に遭遇する。

サイコパスはこのような問題を解決するのがとても得意だ。

彼らは後悔することがない。そして常に自分の利益を最優先し、罪悪感も責任感も感じることなく目的を達成する。相手に罪悪感や恥の意識を植え付け、責任をすべて押しつけることができるので、対峙している人間はたまったものではない。

 

一見、このような問題解決法は普通の人には到底できないように思える。すべての責任を押し付ける技術はもっていないし、仮にできたとしても罪悪感を抱くからだ。

しかし、「自分の利益を最優先する」という目的意識をもつことは非常に重要で、僕らはその手段に少しアレンジを加えるだけで相手が誰であろうと(サイコパスであっても)問題を速やかに解決することができる。

 

これから先「利己的な行動」「責任の所在」「事象の善悪」といった抽象的な概念が出てくるが、その本質にこだわりすぎることは意味がない。その手の本質は哲学者が何百年かけても解決していない問題だ。それについて悩み続けてしまう人は多いが、それでは本末転倒だ。だからこそ、いまここで暫定的に定義しておくことで当初の問題に集中できる。サイコパス的な解釈を「参考に」して、あなたなりの問題解決に生かせばいいということだ。それでは見ていこう。

 

自分の利益を最優先する

この時点で辟易してしまう人もいるかもしれない。

そういう人は「他人が自分にしてくれたことに対して感謝」したり、「人のために何かをしてあげたい」と思っているのかもしれない。誰かから受けた恩を「自分の利益を最優先する」行動によって、仇で返しているような気がしてしまうのではないだろうか。

そう感じるのは自由だが、すべて人間の行動は「自分がそうしたいと思ったからそうしただけ」だと受け取るのがサイコパス的な見方だ。あなたによくしてくれた人もまた、「その人が私によくしたいと思ったからそうしただけだ」と考えている。

したがって、恩を”仇”で返そうが”恩”で返そうが「自分がそうしたいと思えば」やればいいだけだ。「誰かのために行う行為」すら利己的なものだと解釈すれば、「あなたの為を思ってるのに」とか「あなたにこんな事までしたのに」なんて言葉に踊らされず目的を遂行できる。

 

すべての不利益は自己責任とする

サイコパスはすべての問題を他人のせいにするかもしれない。普通の人は「私も悪いしあなたも悪い」と考えるかもしれない。

しかし、責任の所在を明らかにしたところで問題は解決するのだろうか? 

それが相手の責任だったとして、相手に責任を果たす気がなければ状況が変わることはない。それならば、多少の不服は飲み込んですべて自分のせいにしてしまえばいい。相手に責任を押し付けて相手の行動に期待する代わりに、「すべての状況は自分の行動によって改善する」ということだけ意識して、実際に行動すれば大抵の問題は解決する。

「すべて自分が悪い」と感情的にネガティブになるのは意味がないし、その必要もない。意図的に信頼が裏切られたと感じた時に相手のせいにするのは簡単だが、そんなことはどうでもいい。相手は「裏切りたいと思ったから裏切った」ということにしてしまう。そして「これから裏切らせないために、自分に何ができるか」という問題に集中する。状況を改善できることに比べれば、責任を被ることなんて容易いはずだ。

 

蛇足だが、法的な責任問題などは「責任の所在・程度を明らかにすること」自体が目的であり、それによって利益・不利益が左右されてしまう。こういったケースはこの限りではないことは言うまでもない。

 

一般化した事象に囚われない

僕自身「~はサイコパスだ」「サイコパスは~する」という風に書いているが、とても馬鹿げていると感じている。しかし目的は手段を正当化するもので、そこから得られる知識や経験が有益であれば「馬鹿げて」いようが「間違って」いようがどうでもいいのだ。

むしろこうした発言を「馬鹿げている」と感じた人が僕のことを「馬鹿なやつだ」と一般化し、すべての発言から目を背ける行為こそ非生産的で、不利益な状況に陥るポイントになっている。

これは自分自身にも言えることで、ある状況で「自分はダメなやつだ」と感じる行為に意味はない。具体的かつ瞬間的に、「あの時のこの行為がダメだった」と反省し今後の行動基準を修正すればいいだけの話なのだ。

この修正された行動基準も暫定的なもので、それに囚われるのは賢明ではない。

人には「一貫性の原理」という心理があり、自分の行動の一貫性を保とうとする。それが間違っていると気づいた瞬間に言い訳をしたり修正できないのは、その習慣の奴隷になっているからだ。あなたにとって「一貫性」を保つことが幸せでない限り、そこに縛られる理由はない。

 

 

ここまで書いたことの殆どは僕の主観なので、「これがサイコパス的?」と突っ込みたくなった人もいるかもしれない。一応、ケヴィン・ダットンのサイコパスの責任帰属モデルやサイコパスであるジェームズ・ファロンの自伝と整合性のある部分はあるが、それが真実かどうかはどうでもいいことだ。それがあなたにとって「参考に」なっていれば。

 

 

サイコパス・インサイド―ある神経科学者の脳の謎への旅

サイコパス・インサイド―ある神経科学者の脳の謎への旅