サイコパスは倫理を学べるか。

世界には「モラル」や「常識」といった曖昧な意識が存在する。

これらを”規範”としたものが「倫理」および「法」だ。

 

「自制心」を備えたサイコパスは「法」を守ることがある。法を守った方が得だからだ。

では、「倫理」を守ることはできるだろうか?

 

倫理はふつう「法」とは違い、それを破っても裁かれることはない。また、それを守るためにはコストが必要な場合がある。そのため、サイコパスはこのような倫理を「馬鹿馬鹿しい」と感じるだろう。例として、有名な「フォード・ピント事件」を見てみよう。

 

自社製品であるピントという車にフォード社は欠陥を発見したが、現行の基準「法」は満たしていた。そこでフォード社は「欠陥を直した場合」と「直さなかった場合」について損益分析を行った。その結果、人の命よりも利益を優先し、欠陥を直さないという手段を選んだ。

 

フォード社の決断はかなりサイコパス的で、非倫理的だ。

 結局どうなったのかと言うと、フォード社は損益計算をはるかに上回る賠償金を支払った。基準法は守っていたにもかかわらず。

 

裁判では、「欠陥を説明しなかったこと」「法を満たしていることを理由に安全を軽視し販売を継続したこと」などの責任を問われ有罪となった。倫理を軽視し機械的に法律を守るだけでは甘いようだ。(とはいえ、アメリカは懲罰的損害賠償制度を採用している。日本に限れば彼らの判断は合理的といえるだろう)

このような事例から鑑みるに、短期的な利益を優先し周囲から「悪」とみなされる行為をすることは、長期的には不利益となる恐れがある。そのため、この点を強調すればサイコパスであっても倫理的に生きること、すなわち「善」としてふるまう重要性を認識させることができる。結局、法と同じように「自制心」を備えていればサイコパスであっても倫理的にふるまうことは可能だ。

 

サイコパスは良心をもたない。そのため、倫理を「当たり前のもの」として考えることができない。しかし、社会が倫理を「長い目で見れば自分のためになる」と彼らに教えることができれば、倫理観を備えたサイコパスにすることは可能だろう。そのようなサイコパスは、普通の人よりもむしろ冷徹に善を行うことすらできるはずだ。

 

こうした特別な家庭的・社会的な支援が必要なので、サイコパスはある意味「障害」ともいえる。しかしそれはサイコパスに関する議論の「終点」ではなく「はじまり」だ。

 

倫理や道徳は様式美として利他的な行為の尊さを説く傾向がある。それはサイコパスの心に響くものではない。サイコパスのような人間はどのような認知特性をもっており、それに対する効果的なアプローチとは何かを考える必要がある。

彼らの認知は冷たく合理的だ。僕らは理由が利己的であれ、倫理を守ることが彼らの得であると納得させない限り、それは切り捨てられてしまう。

 

倫理には「義務」「責任」という言葉がしばしば登場するが、それは個人にとって面倒な圧力や束縛ではない。経営者であれば経営者、技術者であれば技術者として、社会から求められる行動の規範を与えてくれるものだ。すなわち、それを遵守する者は社会から「善」とみなされる。それはサイコパスにとって魅力的な勲章ではないが、そのことが「どう役に立つか」を学ばなければならない。「情けは人の為ならず」だ。

 

倫理観は社会人における素養とみなされる。それを欠くことは、周囲から適正を疑われることになる。いざというときにその点が罪に問われたり、人間関係においても負の要因となるだろう。そして、それを覆い隠すために更なる悪事とコストがチキンレースのように増えていく。当然、彼らは「トカゲのしっぽ」も作るだろう。しかし、冷徹な悪人にそれを再生産し続けるポテンシャルはない。「自制心」を持っているサイコパスならそれが”非効率的”だと初めから分かっているからだ。

そして僕らは、こうした点を強調し説明すべき人間が存在することを忘れるべきではない。

 

また、社会や周囲の人は「倫理的な行動が長期的利益をもたらすよう状況を操作する」ことも重要だ。最近、倫理的な行動を全うしたNTT東日本旭川医科大学との裁判で勝利したが、このような事例が増えていくことが望ましい。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/14/346926/092501136/?ST=spleaf

そのための法整備や社会風土、インセンティブ(短期的な利益による動機付け)が必要だ。

 

最近では、コインチェック株式会社が脆弱なセキュリティのまま運営し続けていたために不正アクセスを受けてしまった。

「危険の予知・回避」は経営者や技術者における倫理的な義務だ。特に技術者はその危険性を経営者に説得力をもって伝え、彼に経営判断を改めてもらう必要がある。

セキュリティの向上には当然コストがかかる。しかしコインチェックが人柱となった今、この業界ではセキュリティに対する投資が更なる注目と信頼と金を呼ぶことになるだろう。そして本来、これが望ましい社会の”状況”なのだ。

 

 

一方で法とは無縁の小さなコミュニティでは、サイコパスは非倫理的な行動を当然のように行う。そのような人間と関わらなければいけないとき、僕らはどうすべきかもう学んだはずだ。彼らと信頼関係を結び、倫理的な行動が必要な理由を合理的に説明し、実行を促すのだ。そのためにはサイコパスに関する知識と理解、関わる際の危険を予知・回避することも必要だ。あなたも倫理を学べば、これらはすべて倫理的な「義務」(=長期的な利益をもたらす行動の規範)であると分かるだろう。

 

要するに、誰かを倫理的に行動させたければ、あなた自身が倫理的になる必要がある。あなたの中に「モラル」や「良心」は存在するだろうが、それは所詮、”曖昧な意識”だ。”規範”として倫理を学ぶことで、その重要性を他人に効果的に伝える術が得られるのだ。一方で、サイコパスは非倫理的な行動によってそれを僕らに教えてくれる。