サイコパスを操作する

サイコパスから学ぶ

サイコパスの二面性

サイコパスという言葉を聞いて、それを一面的な意味に捉える人は多い。

しかし、サイコパスには「第一因子・第二因子」と呼ばれる要素が存在する。

 

2018年5月、マイケル・ケーニッヒスらによる、犯罪者を対象としたサイコパスに関する研究が発表された。

成人の犯罪者57人について、自己や彼らの母親に関するYES/NOで解答する質問に答えてもらい、その時の脳の活動がfMRIによって観察された。

 

サイコパス第一因子として知られる特徴は「自己中心性・欺瞞性・共感の欠如」であり、第二因子「衝動性・無責任・自制心の弱さ」だ。

 

このうち第二因子の群について、自己に関する質問の解答中に「後帯状皮質(PCC)および右側頭頭頂接合部(TPJ)の活動の低下」が観察された。

 

PCCの機能は十分に解明されていないが、帯状皮質「情動記憶」や共感に関わっており、TPJは「こころの理論」「自他の区別」に重要な役割を果たすと考えられている。

 

情動記憶とは「嬉しい、悲しい、恐ろしい」などの感情と、それに伴う身体的な変化をもたらす記憶であり、これが障害されている人は過去の出来事を思い出しても情動が生じない。

実際、科学的にサイコパスはどう見えるのか。 で紹介したように、サイコパスは情動障害をもっており、過去のネガティブな事象について視覚イメージを想起することが比較的むずかしい。

 

「こころの理論」とは他者の視点に立って物事を考える機能のことであり、「サリーとアンの課題」がこころの理論の発達を評価するテストとして用いられている。

一般に、自閉症の人はこの課題をこなすのが困難だ。

 

「自他の区別」とは文字通りの意味だが、TPJの活動の低下によって「自他の区別がつかない」とはどういう意味だろうか?

 

TPJが損傷したり電気刺激によって活動が抑制されているとき、「体外離脱体験」を経験することがある。体外離脱体験はいわゆる幽体離脱と同じ意味で、自分の肉体を抜け出す感覚を経験することだ。

 

このことから、「自他の区別がつかない」とは「自分と他人」という自明的な区別がなくなり、あたかも自分を他人であるかのように感じているのではと考えられる。

これはあくまでも推論だが、僕自身も情動記憶が障害されているため、個人的な経験からこの解釈を支持している。

 

さて、これらの機能をもつPCCやTPJの活動が「自己診断中に」低下することが何をもたらすのかが重要になる。

 

人は衝動的な行動や反社会的な行動をするとき、強烈な自意識を経験するものだ。その行動のツケは「自分自身が」払うものであり、それを強く意識することで自制心がはたらく。

しかし、こうした行動を取るときにあたかも行為の主体が「他人」であるように感じる場合はどうだろうか。

 

たとえば、人は大金を投資するときに苦悩する。

もし失敗すれば莫大な損失を被るからだ。

しかし、他人がそのような投資をするときには「いいぞ、やれやれ!」と他人事として勧めることができるし、冷静に損益計算をして合理的に意思決定をすることができる。

 

サイコパスの場合、自分が投資するときにも同じ感覚を経験している

まるで他人が投資をするように感じ、リスクに対する感情的な重みづけが著しく弱くなる。そのため投資家にはサイコパスが多く、十分な知識があればそれに基づいて意思決定を行い、チャンスを逃すことなく果敢に投資することができるのだ。

 

逆に、他人が投資するときに「失敗したら大変だしやめておいた方が...」と言うような人はTPJの活動が活発なタイプだろう。他人事をまるで自分のことのように感じる人だ。

 

犯罪行為についても同じだ。

他人の犯罪行為については「逮捕されるのは当然だ!」と感じるだろうが、普通の人が不注意で事故を起こしたとき、強烈な恥や後悔の意識を経験し、「どうか見逃してくれ」とか「本当に申し訳ない」といった感情的な反応を示すかもしれない。

 

しかしサイコパスは犯罪行為を「やるべきだと思ったから」と言って行い、逮捕されたときには「まあ当然だよな」といった風に、他人事のように受け止める。そして「後悔はしていないが反省はしている」といった冷静な供述をしたり、演技をして罪を軽くしてもらおうとする。

 

不注意で事故を起こしたときには「あーあ、やっちまったなぁ。」が本心だ。

一瞬それが他人事のように感じ、その後で「あ、罰を被るのは俺か」と意識に上り、ようやく「チッ、めんどくせえ...」となる。

人生の当事者意識が低いのだ。

 

これまでの話は「第二因子」と呼ばれる、反社会性に結び付くような特性に関する説明だった。こうした人がどういうメンタリティで犯罪行為を行っているのかを知れば、それについて熱心に説教をすることが如何に無意味かが分かるだろう。

 

このような傾向の強いサイコパスについて、どのような治療法を確立すべきかは重要な議論となる。彼らに犯罪のケーススタディやリスクを叩き込んだところで、それを被るのは他人のように感じるし、むしろ「どうしたらバレないか」といった反省材料にされる。そして「やるべきだと思った」時にはそうするしかないのだ。

 

こうした経験がある人は、衝動性をコントロールする訓練を積むべきかもしれない。

その重要性は理解に苦しむものだろうが、過去に起きた損失を思い返して、「長い目で見ればこうしておいた方が得だ。」という経験知を積み上げていくしかない。

思い返すときに情動は生じないだろうが、「こうした行動は損になる」という事実関係のリストを頭の中で完成させていくことで、社会に適応した形で衝動性を発揮できるようになるだろう。