サイコパスを操作する

サイコパスから学ぶ

サイコパスの真実

 

現時点で日本にあるサイコパスに関する書籍の内、真に学術的と呼べるものは

ジェームズ・ブレア 著「サイコパス -冷淡な脳-」

クリストファー・J・パトリック 著「サイコパシー・ハンドブック」

エイドリアン・レイン 著「暴力の解剖学」

くらいだろうか。

 

本書、原田隆之 著「サイコパスの真実」は、これらの書籍や論文を基に明快な論理で構成されており、入門書としては日本で最も信頼できるものとなっている。

 

 

著者は犯罪心理学者であり、サイコパスと関わった経験がある。

その上でサイコパスにも心を開いて接すれば、心を通わせることができる」という命題を「神話」と切り捨てているのは興味深い。

 

僕は以前、「サイコパスと自己愛 」という記事で「サイコパスから尊敬を勝ち取るには、仮面を外した彼らと心の中を晒し合い、互いにそれを認めあうことだ」と書いた。

 

これは間違いだったかもしれない。

 

というのも、「カモ」や「敵」の立場でこれを行えば確実に利用される破目になるからだ。むしろ「尊敬を勝ち取った後」、すなわち彼らにとっての「味方」あるいは「権威」である立場になってはじめてオープンに接し、互いを認め合う意義が生まれる。

 

いわゆる、サイコパスの常套手段である「僕たちは似ているね作戦」だ。

彼らの側にすり寄るのではなく、彼らがすり寄るように誘導し、権内に収めることでサイコパスの利用価値を最大化できる... という意味で書きたかったのだが、今思えば少しハードルが高すぎた。しかし、「サイコパスを変えようとする」ことがタブーであるのに変わりはない。

 

 

さて、本書ではサイコパスの特徴の一つである「良心の欠如」を「恐怖心の欠如」から説明している。サイコパスは「恐怖条件付け」がなされず、それによって「道徳的社会化」も起こらず、良心が欠如するという理論だ。

これが現時点で最も説得力のある説明であり、それを支持するエビデンスも多数ある。

 

さらに、サイコパスについても様々な亜型があると述べている。

これまでに紹介した「成功したサイコパス」や「マイルド・サイコパス」だけでなく、「一次的/二次的サイコパスという分類もある。

 

これは精神医学者カープマンによって提唱された概念だ。真のサイコパス(一次的サイコパス)と同様に、「二次的サイコパス」は他者への敬意を欠き、人を欺き、操作し、犯罪行為をはたらき、その日暮らしで後先を考えないという「対人因子」「感情因子」「生活様式因子」「反社会性因子」といったサイコパスを特徴づける因子を全て兼ね備えている。

 

「二次的サイコパス」が「一次的サイコパス」と異なるのは「良心や共感性の欠如」は完全ではなく、残虐な行動に対するためらいや抑制が見られ、ある程度は自身の行動について”反省”ができるという点だ。

 

さらに、情緒不安定で、自信に欠け、不安や抑うつといった徴候を示すことが多い。すなわち、彼らは「反応的攻撃性」を顕著に示す。

 

リッケンによると、一次的サイコパス「行動抑制システム」に異常があり、自らの行動を抑制できないところにその特徴がある。最も顕著な行動抑制システムは、言うまでもなく「不安」という感情である。「一次的サイコパス」は、この「不安」による行動のブレーキが効かないタイプだ。

 

一方、「二次的サイコパス」には「行動活性化システム」に異常があるという。彼らは、ストレス負荷状況で、自分の行動にスイッチを入れて、それらを回避したり、対処したりできないために、常にストレス負荷状況に追い込まれている。その結果、復讐心や怒りを募らせて、衝動的に反社会的行動が出現するという風な説明がなされている。

 

サイコパスに特異的な特徴は「道具的攻撃性」だ。したがって、「二次的サイコパス」については「サイコパスもどき」という認識が適切だろう。

 

もっと分かりやすく言えば、僕らが問題にすべきサイコパス「他人を困らせる一方で、自分は全く困っていないタイプ」なのだ。

 

 

サイコパスの生理的反応

サイコパスに関する「説明理論」のうち、「恐怖機能不全モデル」に関する研究を紹介する。

 

先ほど登場したリッケンは、サイコパスの生理的反応の異常に初めて着目した研究者だ。彼は、質問紙や生理的指標の測定によって、サイコパスが比較的恐怖や不安が低いとを実証した。

 

さらにクリストファー・パトリックは、性犯罪によって司法的治療施設に拘禁されている犯罪者に対して「手足の切断」や「突きつけられた銃」「蛇」などの驚異的な画像を見せたとき、サイコパスでは「まばたきの回数」が際立って少ないことを発見した。

 

また、フライドマンらは、サイコパスの「遺伝子的特徴」を有する者に対してギャンブル課題を行わせた。その結果、彼らは自分に有利な場面で一貫してリスクを取り続け、結果として高額な報酬金を手にすることができた。つまり、リスクに伴う不安をものともしなかったのである。ただし、「遺伝子的特徴」が何かは示されていない。

 

著者らの研究では、サイコパス傾向のある大学生とそうでな大学生を対象に、安静時およびリスクのあるギャンブル課題時の生理的反応(心拍数、皮膚電気反応)を比較した。しかし、有意な差は見られなかった。サイコパス「傾向」、すなわち行動や感情の特徴がサイコパスと類似しているだけでは「真のサイコパス」ほどの偏りを生じないということだ。これは、生理的反応の異常が「真のサイコパス」を特徴づけることを示唆している。

 

以上より、真のサイコパスには生理的反応の異常が存在し、「恐怖」や「不安」が欠如しているため、彼らにとって「死刑」という罰による抑止効果はないと結論付けている。

 

 

サイコパスの共感性

次に、サイコパスの「共感性の欠如」に関する研究を紹介する。

 

ブレアらは、刑務所および司法病院に入所中のサイコパスと一般男性に、さまざまなスライドを見せ、生理的反応を測定した。スライドの中には、「泣いている大人」「泣いている子供」のクローズアップ画像などが含まれていた。

 

しかし、サイコパスはこれらのスライドを見ているあいだ、皮膚電気反応はほぼ変化しなかった。この結果からブレアは、サイコパスは他人が示す恐怖の情動に心が動かないだけでなく、表情自体を十分に認識できないと主張している。

 

表情の認識に異常があることにまで言及した根拠は明記されていないが、各スライドの表情に適切な表現を答えるような課題(「悲しみ」「不安」「怒り」「憂鬱」の中から1つ選ぶなど) も行っていたのだろう。

 

また、プファビガンらは、サイコパス犯罪者に、他者が苦痛を体験しているビデオを見せ、その反応を調べた。その結果、彼らは質問紙調査では共感を示したものの、視聴中生理的反応には何の変化も見られなかった。つまり、「共感しているフリ」をしていただけで、心は何も動いていなかったのだ。

 

悲しみだけでなく、怒りの表情への反応にも異常が見られる。

フォン・ボリエスらは、スクリーンに様々な表情を映し出し、ジョイスティックを操作することで顔を拡大・縮小できるようにした。一般男性は、怒りの顔が現れたときには画像を縮小し、笑顔の場合には拡大する傾向があったのに対し、サイコパスは、反応に差が見られなかった。

 

人間は、相手の怒りを認識すると、それに対する「回避反応」を引き起こす。これはちょうど、一次的サイコパスに異常が見られる「行動抑制システム」の一つだ。これがうまく機能していなければ、共感に基づく暴力の抑制が起こらない。

 

ブレアによると、このような暴力抑制装置は、まず他者の顔を認識することで活性化され、生理的反応(心拍数の増加、すくみなど)や感情が引き起こされ、相手の表情や周囲の状況に対する注意力が上昇する、といった一連の反応が自動的に生じる。

 

しかし、サイコパスそもそも他人の表情を見分けることができない。そして、恐怖や苦痛の顔を見せられても、そこにある感情を読み取ることができず、自分の感情も動かない。そのため、過剰に他人を痛めつけるような”冷徹な”暴力が起こる。これが「共感性の欠如」である。

 

一方、目元を見て表情を当てるテストでは、サイコパスは一般人よりも高い正答率を出すことを示した研究もあった。「共感性の欠如」は「表情の認識の異常」によるという説明については、まだ議論の余地があると感じる。

 

 

サイコパスの注意力

注意力は「実行機能」に大きく関与する。

計画を立て、計画通りに実行できているかモニターし、一つ一つの行動を遂行していく。場合によっては、状況に応じて臨機応変に行動を調節する必要がある。

 

ジュダイとヘアは、受刑者にテレビゲームを行ってもらいながら、ピッという電子音(妨害刺激)を聞くという課題を行わせ、その際の心拍や皮膚電気反応を測定した。

 

その結果、サイコパスは邪魔な音にも妨害されることなく、淡々とゲームを続けることができた。皮膚電気反応も小さく、試行を重ねてもほぼ変化が見られなかった。

 

一方、非サイコパスは妨害刺激に邪魔されがちで、生理的反応も大きかった。しかし、試行を重ねるにつれて反応は小さくなり、妨害刺激を無視することができるようになった。

 

この結果から、サイコパスは、自分が取り組んでいることや関心のあることに注意を集中し、妨害刺激を無視することができる「能力」があることが示された。

 

しかしながら、サイコパス自分の利益を追求するあまり、他者の利益や感情を無視する傾向と関連すると考えられる。

 

以上の研究から、「説明理論」として次の3つのモデルが提唱されている。

 

①恐怖機能不全モデル -「恐怖心の欠如」に着目

②暴力抑制装置モデル -「共感性の欠如」に着目

③反応調節モデル      -「注意欠陥」に着目

 

著者は、「これらのどれが正しく、どれが間違いというものではなく、ここで述べてきたサイコパスの病理のどこに一番着目するかによって、理論がそれぞれ異なる」と述べている。

 

 

サイコパスの脳

これまで何度も説明してきたように、サイコパスの脳の異常として最も際立っているのが「扁桃体の異常」と「内側および眼窩前頭前皮質の異常」である。

 

「恐怖、不安、共感性、良心の欠如、冷酷性、残虐性、衝動性、生理的反応の異常」という特徴は、扁桃体の異常との関連が繰り返し示されている。サイコパス扁桃体には容積の減少や、左右非対称性が見られる。

 

また、内側前頭前皮質や眼窩前頭前皮質といった「良心」や「共感性」と関連のある領域の異常が見られる一方、「冷たい脳」と呼ばれる背側前頭前皮質の障害はなく、冷静に計画を立て、冷酷な犯罪を行い、反省もしないというサイコパスに特異的な特徴が現れる。

 

また、神経伝達物質についてはドーパミンの過剰」や「ドーパミントランスポーターの異常」が見られており、サイコパスが過剰に刺激や快楽を求め、衝動的に薬物使用、放縦なセックスなどに動機づけられることと関連があると考えられている。

 

さらに、主にセロトニンの分解を担うモノアミン酸化酵素A(MAOA)遺伝子の変異によってセロトニン過剰」がもたらされる。一般にセロトニン濃度の増加は、抗うつ薬がそれを目指すように、不安や怒りを抑えるといったポジティブな効果が期待されるのだが、発達の初期からセロトニンの過剰が持続する場合には話が変わってくる。

 

ファロンによれば、発達の過程で「セロトニンの過剰」に対して「恒常性」がはたらくと、脳内のセロトニン受容体の数が減少する。つまり、セロトニンに対して感受性がなくなってしまう。

 

扁桃体はストレスを感じ取るとストレス反応を引き起こすと同時にセロトニンの放出を促し、それを抑制するという機能もあるのだが、サイコパスの脳はセロトニン感受性が低いために怒りが持続してしまい、攻撃性が現れてしまう。

 

 

遺伝と環境

サイコパスの概念が登場した当初、その病理は「精神分析」や、それに付随する「愛着理論」によって説明されていた。

しかし、著者はこれらに対してエビデンスがない」と一蹴する。

 

マーシャルとクックは、サイコパスと非サイコパスの男性を対象に、非虐待経験について調査したが両群に有意差は見られなかった。同様の結果は、繰り返し報告されている。

 

また、ブレアは愛着理論について「愛着形成ができなかったからサイコパスになったのではなく、サイコパス的な素質を持って生まれた子供だから、愛着形成ができなかったのではないか」と指摘している。

 

 

僕は「少年は残酷な弓を射る」という映画が好きなのだが、この映画はまさにサイコパス的な特徴をもつ子供と母親の関わりを示しているように思える。

 

少年は周囲の人間の前では「良い子」を演じる一方で、母親と二人きりのときには無視や挑発をして貶めようとする。時には心を折られながらも、健気に接そうとする母親の姿は美しく切ないのだが、それとは裏腹に残虐な事件が次々と起きてしまう。

 

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言うまでもなくフィクションなので「エビデンス」にはなり得ないのだが、虐待によって彼らがサイコパスになったのではなく、サイコパス”だから”虐待を受けた、という可能性を考慮しておく必要はあるだろう。

 

 

「暴力の解剖学」の著者でもあるレインは、反社会的行動に対する遺伝と環境の寄与率を分析した結果、遺伝率は0.96という驚くべき結果を示した。

つまり、人が示す反社会性のばらつきの96%が遺伝で説明できるのだ。さらに「共有環境」の影響はゼロで、「非共有環境」の影響は4%だった。これほどの遺伝の影響に匹敵するのは「身長」くらいだ。

 

 

とはいえ、妊娠中に母親が”週一回”飲酒しただけで、子供の素行障害のリスクが倍増すること、たばこを1日10本吸った場合、子供が素行障害になるリスクは4倍にもなること、またケンブリッジ研究と呼ばれる、ロンドンの男児を対象に40年間の追跡長差を行った研究では、「父親の不関与」の有無がサイコパスと非サイコパスの数に6.5倍もの差をもたらしたことが示されている。

 

 

本書はさらに踏み込んでサイコパスの治療進化論的な考察「悪」とは何か、といった話にも触れている。いずれも「エビデンス」に基づいて描かれているので、興味のある人は本書を読めば、サイコパスに対する洞察をさらに深めることができる。

 

 

参考

 

サイコパスの真実 (ちくま新書)

サイコパスの真実 (ちくま新書)